巨人・福田聡志投手の野球賭博関与問題は社会に大きな衝撃を与えた。そこで思い返されるのが46年前の「黒い霧事件」だ。そもそものきっかけは1969年10月、西鉄ライオンズ(現・埼玉西武ライオンズ)の永易将之(ながやす・まさゆき)投手が、球団の調査で「暴力団の野球賭博で八百長試合に関与した」と判断され、解雇されたことだった。
これを新聞が大きく報道。さらに渦中の永易が普段着のまま自宅を出て、そのまま失踪したことで、疑惑が疑惑を呼び、騒動は社会問題に発展する。最終的には、複数の逮捕者を出す事態となり、19名のプロ野球選手が永久追放・出場停止などの重い処分を受けた。
ここで本誌は球史に残るスクープ記事を掲載することになる。行方をくらませていた最大のキーマン・永易の独占インタビューを報じたのだ(1970年4月10日号。以下、カッコ内は記事より。誌面の都合により、一部編集してある)。
インタビューは本誌の協力ライター・大滝譲司氏によるもの。2週にわたって掲載され、その赤裸々な内容が大きな話題を呼んだ。まず、八百長をやったのかと迫る大滝氏に、永易は観念したように認めた。
「そのために永久追放になったんですから、いまさら否定できないですね」
永易は「自分は八百長の首謀者ではない」としたうえで、こう語る。
「(関係した八百長試合は)ほんの数えるほど。三試合ぐらいかな。成功したのは一回だけで、あとの二試合は失敗。(失敗したらカネは)もらいませんでした。成功したら二十万円です」
「暴力団の人と、野球に関してはまったく関係ありません。(実際にカネを払っていたのは)関西の商人です。昨年、チームメイトの紹介で、神戸で飲んだのがきっかけで知り合った」
永易は大滝氏の質問に丁寧に答える。成功した八百長の試合(故意の敗戦)についても、詳細を以下のように語っている。
「M投手の友人でHさんという人がいるんですが、この人が張本人なんです。Hさんは胴元ではなく、張る方なんですが、一昨年のシーズン中にM投手と知り合ってやりはじめたそうです。僕がはじめて持ちかけられたのは(八百長が成功しなかった)ロッテ戦で、Y投手から頼まれました。
(成功した南海戦は)Y投手が僕にいってきたんです。確実にやるためにバッターもおさえてくれといわれて、僕が内野手のF選手をとめ(仲間に誘うこと)、YがM捕手とこれも内野手のM選手をとめました」
「僕がF選手に話したのは試合の一日か二日前、二人で買い物へ行った帰りに御堂筋の喫茶店で話しました。Fははじめてだったらしくびっくりしていましたが、とにかく『一回だけ』ということでOKしたんです。それで、僕は預かっていた三十万円をわたしたら、Fは『そんなにいらない』といって十万円返してきて、結局二十万円受け取りました。Fは『不成功に終わったら返す』といっていましたが、成功したのでそのまま。彼は満塁のチャンスで三振しました」