国際空港のある韓国・仁川の“チャイナタウン”は、今でこそ韓国観光の目玉だが、その歴史は高々15年しかない。1999年6月5日付の韓国全国紙「京郷新聞」を開くと、当時廃れていたそのエリアを「チャイナタウンとして整備する計画」が持ち上がったと報じられている。
そこはもともと、李朝末期に山東省からやって来た清の人々が定住して「清国租界」が形成されたエリアだ。清朝滅亡を経た後、日本植民地時代に最盛期を迎えた。当時は1万人以上の「華僑」が暮らし、中華料理店や商店などが軒を並べていたという。
その活気のある街が、朝鮮戦争(1950年~)を機に廃れていった。ジャーナリストの伊東順子氏によると、2000年代に入ると〈小さな華僑学校と数軒の中華料理店〉があるだけだったという(*注)。
【*注/伊東順子「チャイナタウンのない国」(明治学院大学言語文化研究所紀要『言語文化』21号)より】
チャイナタウン衰退の裏には、中国との国交断絶時代に敷かれた「華僑弾圧政策」があった。中でも決定的だったのは、朴正煕政権下の1970年に出された「外国人特別土地法」だ。これにより、華僑たちは50坪以上の店舗がもてなくなった。
伊東氏は〈この法律こそが、在韓華僑の生活権を奪い、チャイナタウンを消滅させ〉たとみる。ほかにも、韓国人には適用される医療保険が使えず、病気になっても医者に診てもらえないなど、差別的な政策が実施された。