「もう無理、耐えきれない。救急車を呼んでくれ」──顔面蒼白になった男性(62)は、小さな声で妻に告げた。下っ腹の奥を刺すような強い痛みが断続的に襲ってくる。目も開けられず、ソファに前屈みになったまま動けない。前夜に3回もトイレに行ったが、便は出なかった。全身から噴き出る脂汗で、パジャマがぐっしょり濡れた。
救急搬送された病院で、男性は浣腸を4回受けたが、痛みは消えない。X線撮影した結果、担当医はいった。
「バリウムが固まって大腸を圧迫し、孔が開いてしまいました。すぐに緊急手術が必要です」
男性は前日に自治体の胃がん検診でバリウムを飲んでいたのだ──。
2時間の手術で、孔が開いた部分を切除、人工肛門が設置された。手術後2日間、男性の意識は混濁していた。入院生活は17日間。そして、男性は、身体障害者4級の認定を受けた。
退院後、このままでは泣き寝入りになると、男性は危機感を抱いた。そんな時、親族から「週刊ポストでバリウム検査の問題を特集していた」と聞き、筆者の事務所に相談の電話をかけてきたのである。
筆者は、今年6月から7月にかけて本誌で3回にわたってバリウム検査(胃X線検査)の問題点を追う調査報道をレポートした。
死亡例を含む重大事故の頻発。バリウム検査より内視鏡検査(いわゆる胃カメラ)が、胃がん発見率で2倍以上高い事実。バリウム検査をめぐる巨額マネー、天下り、組織の癒着構造を「検診ムラ」と名付け、医療界のタブーだったその実態を初めて詳細にお伝えした。
大きな反響を受けたことから、新たな調査を加えた単行本『バリウム検査は危ない』を上梓した。冒頭の男性からの電話は書籍の執筆中に寄せられた。
東北新幹線の新白河駅から車で約50分、福島県の人口約7000人の静かな町に住むこの男性を訪ねた。
「去年、都内の会社を退職して、故郷の福島で自家菜園など、セカンドライフを満喫していた矢先でした。会社員時代は毎年、人間ドックで内視鏡検査でしたが、田舎町ですので、自治体のバリウム検査を本当に久しぶりに受けたんです。そうしたら、この有様ですよ」
男性がセーターをめくると、約30cmの生々しい手術痕が現われた。左腹には、タバコの箱よりやや大きい人工肛門があった。
「半年間は人工肛門を設置したままです。こんな場所から大便を絞り出すのは、本当に変な気分ですよ。オナラも出ますしね。身体障害者の認定を受けるとは思いもよりませんでした」