親は自分よりも先に逝く―頭ではわかっていても、いざその瞬間が訪れたときの悲しみや喪失感、後悔はどれほど大きく、深いものか。自分をただ子供として愛情を注いでくれた人がこの世からいなくなる。それが夫や子供、友達がいても、決して埋められないほどのものとしたら、私たちはどんなふうに老いゆく親と接し、やがて来るそのときを迎えればいいのだろう。
52才のときに79才の母親と84才の父親を相次いで亡くした経験を著書『親を送る』で綴った井上理津子さんと、昨年、祖母を亡くし、井上さんの本を読んで母の痛みの深さに気づかされたという北原みのりさんが、「親の死」について語り合った。
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井上:北原さんは、おばあちゃまを亡くされて、もうすぐ1年だそうですね。
北原:祖母は昨年12月20日に89才で亡くなったんですが、心臓も弱くて11月から2か月入院していたので、家族はみんな、もうそろそろかなってわかっていたんです。私にとっても大きな存在で、喪失感に苦しめられたのですが、私の母の悲しみは、私が戸惑うほど深いものでした。
井上:お母様は団塊の世代より少し上ですか?
北原:1945年生まれです。その母がいまだに悲しみと後悔に苦しんでいるのに、私はすごく驚いて…。井上さんもお書きになっていたように、今は娘である時期がとても長いと思うんです。母は今年70才ですから、70年間、娘だったわけじゃないですか。そういう体験は、人類史上なかったことで、こんなにも長い期間を娘として過ごした人にとって、母親の死は特別だと思うんですよね。
井上:私も本を書き始める前に、ぼーっとしながら、「母」「死亡」とかで検索しちゃったりするわけですよ。そうすると、お母さんの思い出をブログに綴っている女性がいっぱいいるんです。「空を見たら泣けてきた」とか、あれっ、私と一緒! って。孫がいるくらいの年齢であっても、やっぱり娘なんですよね。
北原:だから私はいい体験をしたなと思っていて、今まで自分の母親はただ私の母親だったけど、祖母の死に苦しんで、「娘である自分」を私の前で解放した母を見て、この人も娘だったんだと気づかされたんです。なんて言うか…母に対する見方が変わったところもあったんですよね。
井上:ああ、私なんて、それに気づくのは母が亡くなってからなんですよ。母は俳句を作る人だったんですけど、遺品の整理をしていたら、母が何十年も前に亡くなった自分の両親のことを詠んだ句がいくつも出てきたんです。田舎に行ったらお祭りをやっていて、そこに親の面影を見た、というような。母は私が育った家庭の人で、娘時代はもう終わっているというか、クリアしている人だと思っていたけど、違ったんですね。
母が30代、40代のときの俳句にも親が出てくるし、60代、70代になってからも親のことを詠んでいる。それなのに、私はそういう母にまったく気づかない娘だったなぁ、と愕然とした思いがあったんです。北原さんは早くお気づきになったから、これから変わりますよね。