哲学者の鷲田清一氏は、今の日本人に欠けている「しんがりマインド」の重要性を強く訴える。「しんがり」とは「殿」と書き、敗戦の際、敵の攻撃を最後尾で食い止める役割のことである。
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昨今よく「予測不能な未来」などと言われるが、違うと思う。今後数十年間確実に人口減少が続き、日本は縮小社会を迎える。原発は危険すぎるが再生可能エネルギーへの移行は容易でない。年金も介護も今のままを維持できない。一般市民の目にもほぼ問題は確定しているが、「どう対処したらいいか」が見えないのだ。
こういうとき、みずからも社会の一翼を担い、みんなで力を合わせなければと思って当然なのに、現実はそうならずに、次々に手を打ち現状を打破してくれそうな「強いリーダー」を望んでいる。これは日本人の「おまかせ」意識から出る発想である。
この「おまかせ」意識は今に始まった話ではない。日本人は明治以降の近代化の過程で徐々に「生き延びるための仕組み」を手放してきた。たとえば、病気の治療、食材の確保、次世代の育成などのことだ。そうした「生き延びる仕組み」を近代化させるため、国家は西洋以上に力を入れて専門家を養成した。
医師、看護師、教員、行政職員、弁護士といったプロに任せたほうがクオリティは一気に上がる。それによって国民の学力は高まったし、長寿化は達成され、都市の安全性も飛躍的に高まった。
しかし、それと引き換えに「おまかせ」の精神構造が徹底されていった。気がついたときには、市民は成熟するどころか、行政サービスの「顧客」になってしまった。それが「強いリーダー」待望論と通底する。つまり、「まかせているんだから、ちゃんとやってくれ」ということだ。
高度成長期には従来型のリーダーシップでも全体が押し上げられていたから、会社は事業が失敗しても他の部門で補うことができ、冒険することができた。しかし、いまの縮小社会では失策は会社の存亡に関わる。そういう時代には、「俺について来い」式のリーダーではなく、全体を見渡すことのできる「しんがりマインド」を備えた人が必要になってくる。