【著者に訊け】吉川永青氏/『悪名残すとも』/KADOKAWA/1900円+税
私心など微塵もなかった。むしろ主君を慕い、お家や領民を思えばこそ、〈主君押し込み〉という名のクーデターを挙行した人物として、吉川永青氏は『悪名残すとも』で陶隆房(すえ・たかふさ)を描く。
筆頭家老職にあった隆房の決断は結果的に大内義隆の自害と大内家滅亡を招き、歴史に汚名すら刻む。美形を好んだ義隆に寵童として仕え、19で家督を継いだ彼が初陣を飾ったのは天文9(1540)年、20歳の時。本書では、尼子勢の猛攻を安芸国衆・毛利元就と共に退けた「吉田郡山城の戦い」からその生涯を書き起こし、〈一本気〉ゆえに敵を作ることも多かった若き美丈夫の苦悩に光を当てる。
西国の雄・大内がいつか天下を取る日を夢見ながら、主君の堕落に心を痛める隆房の失意は、現代の我々から見ても同情して余りある。その時、〈進んで悪名を頂戴せん〉とした彼の決断も、一つの道ではあったのだが。
2010年に小説現代長編新人賞奨励賞を42歳で受賞して以来、既に12作を発表。三国志、伊達政宗、鴻池新六等々、扱う時代も幅広いが、題材選びは常に「テーマありき」だという。
「今回で言えば、敗者にも敗者なりの正義があるはずだという主題がまずあって、一話完結の物語をいくつか並べた時に戦国通史になるようなシリーズを考えた。特に信長登場以前の下剋上的な空気は避けて通れませんし、それを最も体現しうる人物の一人が、下剋上をした経験も、された経験も両方持つ、陶隆房でした」
舞台は戦国前夜の西国全域。大内家は義隆の居館・築山館のある周防山口を拠点に、東は安芸や備後、西は筑前や豊前までを手中に収め、山陰の雄・尼子勢と鎬を削っていた。眉目秀麗で知勇に優れた隆房は義隆からの信も厚く、岳祖父・内藤興盛や元就ら、年長の相談者にも恵まれていたが、どうにも相容れないのが右筆・相良武任だ。
やれ連歌だ、饗応だと、風雅に耽るこの男を義隆は寵愛し、尼子攻めの評定にまで口を出させた。尼子経久の死に乗じて一気に敵を叩こうとした隆房の案は結局、〈調略をしながらの行軍〉へと骨を抜かれ、月山富田城の大敗、そして撤退と、1年3か月の歳月を無にする格好となるのだ。
しかも松江からの敗走中、養嫡子・晴持が事故死。義隆は腑抜け同然になってしまう。そこで新しく豊後の大友から養子・晴英を迎えた矢先、側室・小槻氏が男子、亀童丸を産むのである。
隆房は相良との不義密通を疑い、御前で斬りかかるほど対立するが、最も憎いのは、散財を諫めても〈天役で何とでもなろう〉と聞く耳を持たないまでに義隆を堕落させたことだ。領民は度重なる天役(臨時徴税)で疲弊しており、思い詰めた隆房は主君に隠居を迫る押し込みを画策。やがて敵対する杉重矩までが賛同するに至った。決起の時は天文19年9月15日。しかしこの決断すら、元就に言わせれば〈手ぬるい〉のである。