俳優生活55年を迎えた、俳優で俳人の小倉一郎(64才)。細身で頼りなさそうなキャラクターを強みに、市川崑監督(享年92)や深作欣二監督(享年72)など名匠たちと渡り合ってきた。一方で俳句やエレキギター、作詞作曲、篆刻(てんこく=書画などに使う印章を作ること)、墨絵…とマルチな才能をのぞかせる。尽きることのない彼の好奇心はどう生まれたのか?
梅宮辰夫(77才)の口添えで東映児童演劇研修所に入り、石原裕次郎さん(享年52才)主演の『敗れざるもの』(1964年)で映画デビュー。脚本家の山田太一(81才)にかわいがられ、多くの名匠たちと渡り合ってきた。出演した作品は約500以上。それでも、“大御所だぞ”と、偉ぶるところは一切ない。むしろ、「密着は長丁場になるでしょうから、こちらをどうぞ」と、パンや寿司をふるまわれてしまう。さらに自身の著書、CD、手品グッズ、特注の原稿用紙…と会うたびに手土産を渡される。
「いや~…そんな特別なことは。養母は生前“人によくしろ”と言っていましたから。あ、生みの母はぼくを産んで1週間で亡くなってしまっているんです。父は結核で入院したきりだったので、父の姉、つまり伯母が引き取ってくれました。その時、伯母は51才でしたから、バアさんです(笑い)。一生懸命育ててくれたのは幼心にもわかりました。生活保護を受けているのに、月賦でぼくのギターを買ってくれたり。でも言葉遣いにはうるさくて、ちょっとでも変なこと言うと物差しでぶたれましたね(苦笑)」(小倉・以下「」内同)
慈しむように家族の話をする小倉。実は小倉には双子の兄がいたが、2才の時に船着き場で遊んでいてふたりとも溺死し、2つ上の姉は小倉が16才の時に脳腫瘍で亡くなってしまった。そして入退院を繰り返していた父も交通事故で不慮の死を遂げてしまったという。そんな孤独を埋めてくれたのが、撮影所であり、本だった。