1990年代の人気番組『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系)の企画「電波少年的東大一直線」で、東大卒の家庭教師・ケイコ先生としてブレイクした春野恵子。当時、お笑い芸人・坂本ちゃんを、日本大学文理学部などに合格させた。そこに至るまでの8か月間には、知られざる秘話があった。現在は浪曲師として活動する春野に、当時を振り返ってもらった。
――『電波少年』出演のきっかけから教えてください。
春野:事務所に入ったばかりの頃、日本テレビの新番組だと言われてオーディションに行ったんです。でも、どんな番組かわからなくて…。面接だけで終わって、1か月を過ぎても結果が伝えられなかったので、落ちたのかなと思っていました。
そんな時に、「『電波少年』の観覧に行くから」と突然マネジャーに言われて。家族で旅行に行く予定だったので、私は旅行には後から行くことにして観覧に行ったら、『ダース・ベイダーのテーマ』が流れてTプロデューサーに連れて行かれたって感じですね(苦笑)。
――室井滋さんに促されて。
春野:産休の松本明子さんの代わりに室井滋さんが司会をされていて、「坂本ちゃんが東大に向けて勉強しているんだけども、一人じゃ進まないなあ。この中に東大の人はいませんかね?」っていきなり言い出して。
私は嫌だったんですけど、隣のマネジャーに手を挙げさせられたんですね。私が『電波少年』に出ると思わなかったのでそのときは、ひたすら笑っていました。びっくりすると、人って笑うのかなって思いましたね。
―― 一切、説明もなかった?
春野:ありません。四谷のマンションに連れて行かれて、「やりますか、やりませんか?」と。
――断らなかったんですね。
春野:はい。「ヤラセかな、1週間に1回くらい収録に行けばいいかな」と思っちゃったんですね。そうしたら8か月間、マンションに閉じ込められました。
――ガチだったんですね。つらかった?
春野:つらい時もありましたよ。辞めたいなとか、おうち帰りたいなとか。当時付き合っていた彼氏もいたので、彼氏に彼女ができちゃう夢を見て、泣きながら目を覚ますこともありました。
部屋にはスタッフの連絡用の携帯が置いてあったんです。スタッフさんにしか使えないように4ケタの暗証番号が設定されていました。それを寝る時にこっそりベッドに持ち込んで、0000、0001、0002…って延々。家族に電話できないかなって、必死に試したりして。
ある日、坂本ちゃんが鳴った携帯に出て「ケイコー、お母さんからよ」って、私を呼んだんです。スタッフさんの計らいで母と話せるのかなと思って出たらスタッフさんで。その瞬間、すっごい泣いちゃって。驚いた坂本ちゃんが慌てて「ごめんごめん、冗談だったのに」なんてこともありましたね。
――8か月会えなくて、彼氏とはどうなりましたか?
春野:企画が終わって会いに行ったら、もう新しい彼女ができていました。初めて付き合った彼氏だったのに…。
――食事はどうしていたんですか?