「さんてつ」の愛称で親しまれている三陸鉄道
NHK連続テレビ小説『あまちゃん』で一躍有名になった三陸鉄道。放送終了から2年半、久慈から宮古まで北リアス線71kmをロケ地訪問した。
町を歩けば、どこからともなくあのオープニングテーマが聞こえてくる。シャッターには“あま絵”、お土産店には青いミサンガ。久慈の町は今も“あまちゃん”一色だ。ドラマ放送中は年間約33億円の経済効果があったという。放送終了後2年半、一時の“狂想曲”は落ち着いたが、
「こたつ列車に乗ったから、次は夏のお座敷列車に乗って海女の実演を見てみよう…と、“一見”の観光客で終わらず季節ごとに来てくださるリピーターが増えました」と、久慈市観光物産協会の廣内留美さん。
「復活に向けてのチャンスだ。真剣にやってもらわないと困るんだ」。力強いアキの言葉は、久慈の現在に繋がっている。
三陸鉄道北リアス線沿線は震災で大きな被害を受けた。特に陸中野田駅と野田玉川駅間の被害は甚大で、鉄道はのべ317か所に渡って損傷。高さ18mの津波が押し寄せた野田村では37人が亡くなった。
「最近やっと、笑えるようになったんです」と言うのは、『物産館ぱあぷる』の古舘美恵子さん。
「『あまちゃん』がブームになって、村が注目されて。生産が追いつかないくらい『のだ塩』が売れたんです。全国からお客さんが来てくれて、がんばれって言葉もいっぱいいただいたんですよ。
いただきっぱなしじゃいけない、もっと私たちもがんばりたいな…と思えるようになりました。みんなね、『あまちゃん』のおかげで、自信とやる気と笑顔を取り戻したんです」
三陸の人びとの心の中では、『あまちゃん』は終らない物語を紡いでいた。
撮影■菅井淳子
※女性セブン2016年3月24日号