チェルノブイリ原子力発電所事故から30年が経過した。20年以上にわたりベラルーシの放射能汚染地帯への医療支援を続けてきた鎌田實医師が、今年4月、ベラルーシを訪れたときに感じた現実を直視する覚悟について、レポートする。
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1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所が爆発事故を起こした。大量の放射性物質がウクライナやベラルーシを汚染し、世界中に拡散した。ぼくが代表を務める日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)は、ベラルーシの高汚染地域の医療支援のため、100回以上医師団を現地に送ってきた。
ベラルーシでは、子どもを守るため、甲状腺検診と保養を行ない続けてきた。甲状腺検診は今でこそベラルーシ全体では行なわれていないが、ゴメリなどの高汚染地域では今も継続されている。
保養では、1回24日間を年2回、国内のサナトリウムやヨーロッパへ行く。費用は無料。子どもたちに、放射能を避け、安全なものを食べ、のびのびと生活してもらうのが狙いだ。当時子どもだった30、40歳代に話を聞くと、ドイツへ行った、イタリアへ行ったという体験談とともに、「保養のおかげで精神的な不安がとれた」と話す人が多かった。
驚くのは、今も保養が行なわれていることだ。年1回になったが、少なくとも今後5年間は、保養を続けていく計画だという。
日本では原発事故から5年経った今、すでに少しずつ風化が始まっているような印象がある。保養は最初の1、2年、活発に行なわれていたが、最近は子どもたちが忙しいという理由で減ってきている。「保養」という言葉を使うと、人が集まらない現状もあるようだ。
また、ホールボディカウンター(体内の放射性物質を測定する装置)で内部被ばくを測定する人も少なくなっている。心のどこかに、つらいことは見たくないという思いがあり、それが現実に蓋をしてしまっているように思う。
しかし、原発事故後を生きていくぼくたちは、もう見ないふりはできない。むしろ、現実を直視し、「見えない放射能」を見ようとする努力が必要なのだ。
ミンスク国立医科大学放射線医学部長のアレキサンドリア・ストラジョフ教授は、福島の現状も見ている。「日本の除染のほうが、ベラルーシの除染よりきめが細かい」と言う一方、20キロ圏内でも、年間20ミリシーベルト以下なら、帰還許可が出始めていることに対して、異を唱える。
「年間20ミリシーベルトは異常に高い。原発労働者や医師など特別な作業に当たる人以外の一般の人が、20ミリシーベルトというのは高すぎる。5ミリシーベルト以上のところで生活すべきではない。目標は1ミリシーベルト以下だ」と、ストラジョフ教授は強調した。