明治時代(1902年)に日本初のサーカスとして誕生した「木下サーカス」。創業114年を数えてなお、開場前に入場を待ちわびる家族連れが長い行列をつくる。
日本でのサーカス最盛期は昭和30年代とされ、当時は全国に30以上あったというが、現在はほぼ消滅している。かつて日本3大サーカスと謳われたキグレサーカスも、6年前に大きな負債を抱えて事業停止。娯楽の多様化に加え、近年ではカナダのシルク・ドゥ・ソレイユなど、海外の現代的なサーカスの台頭もあって、日本のサーカスは淘汰されている。
そんな中で木下サーカスは、アメリカのリングリング・サーカス、ロシアのボリショイサーカスと並び「世界3大サーカス」の一角をなす。
現在、「木下大サーカス」として全国を巡回し、4~5年ごとに同じ地域を訪れる。希少なホワイトライオンの猛獣ショーなど、看板の演目に磨きをかけ、定番のショーの内容も常に刷新している。
戦前から続く伝統を継承し、鉄製の球形ドーム内をバイクが爆音を上げて縦横無尽に走り回るオートバイショーは1945年に始まった自慢のオリジナル演目。4代目社長の木下唯志氏が語る。
「バイクだけでも迫力満点なのですが、現在は女性ダンサーと音楽を組み合わせてショーアップしています。アメリカ60年代のダンスシーンを意識した編成で、国際線の機内で観た映画がきっかけでした。
リドやムーランルージュなどのパリのキャバレー文化や宝塚など、国内外のあらゆるエンターテインメントを吸収して演目をバージョンアップすることで、『前に観た時とまったく違う!』と、リピーターのお客様も喜んでくれます」
サーカスが好きでたまらない木下氏の情熱に惹かれて入社を希望する学生も多く、新卒採用は倍率30倍の狭き門。ベテランから若手まで100人の社員を抱える大所帯となったが、木下氏は次なる夢を描く。
「1991年に『The greatest circus in the world』というロゴを付けました。当時は『世界一のサーカス』なんて恐れ多かったのですが、今は手の届くところまできたと感じています。世界のトップを見据えて、奢ることなく地道にその夢を実現したいです」
トップの志が伝播して、組織の意識も変わる──力強く語る木下氏の目は、すでに次の100年を見据えている──。
取材・文■渡部美也 撮影■太田真三
※週刊ポスト2016年11月18日号