年末恒例の「日本レコード大賞」だが、今年は『週刊文春』が報じた買収疑惑によって、不名誉な形で話題となってしまった。
1959年に始まったレコード大賞は、1969年から大晦日に生中継が始まると大人気番組となった。1977年に沢田研二が『勝手にしやがれ』で大賞を受賞したときは、視聴率50.8%というとんでもない数字を叩き出している。
だが、レコード大賞はしだいにその輝きを失っていく。家族みんながテレビで同じ番組を見て、同じ歌謡曲を聴く時代が終わり、若者の間でいわゆるニューミュージックが台頭する。テレビには滅多に出てこないユーミンや井上陽水、吉田拓郎らは、「賞レースはカッコ悪い」とレコード大賞を次々に辞退。
さらに大打撃となったのは、1989年にNHK紅白歌合戦が夜8時スタートになったこと。放送時間がかぶってしまうため、この年以降、歌手も視聴者も「紅白かレコ大か」の選択を迫られることになった。
この年の大賞を巡る因縁は、まさにレコ大の変化を象徴した。6月に他界した美空ひばりの遺作『川の流れのように』が最有力と見られていたが、獲得したのはデビュー2年目のアイドル・デュオWinkの『淋しい熱帯魚』。
「ひばりさんは偉大だけど、もう故人なので生放送では歌えない。なんとか視聴率の低下を抑えたいTBS系列の審査委員がこぞって、Winkに投票し、大逆転したといわれています」(芸能レポーターの石川敏男さん)
1989年の視聴率は14%と初めて10%台に転落。以後、現在に至るまで視聴率10%台に留まっている。
追い打ちをかけたのが、「ジャニーズ事務所の辞退」だった。それまでは大賞を受賞した近藤真彦、光GENJI(1988年)のほか、最優秀新人賞のシブがき隊(1982年)、少年隊(1986年)、男闘呼組(1988年)らジャニーズのアイドルが華を添えてきた。
「きっかけは1990年に起きた『忍者』問題でした。1990年から3年間だけ演歌・歌謡曲部門とポップス・ロック部門に分かれたんです。『忍者』は演歌を歌うジャニーズの中でもこだわりの異色グループだったので、事務所側は前者を希望したのに、主催者側の都合で後者に移された。それ以降、一切出演ナシに。でも、その背景にはレコ大の価値が低下し、“大賞を獲ってもメリットがない”という側面もあったと思います」(前出・石川さん)