客前に出たばかりの17歳の舞妓が、20歳になり芸妓として一人前になるまでの4年間を撮り続けた写真家・小林鷹氏はこう話す。
「明治時代に鏑木清方や上村松園が描いた美人画のような女性を、いつか撮ってみたいと思っていました。
ある日、京都の老舗呉服店の社長さんの紹介で初めてお座敷遊びをしたときに、舞妓の小扇(こせん)さんと出会いました。小扇さんは顔立ちもプロポーションも素晴らしく、私が撮りたかった女性像にピッタリでした」
現在、京都・祇園の五花街(祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東)には舞妓、芸妓合わせて250人ほどが働いている。そのほとんどが中学卒業と同時に親許を離れ、置屋で女将(おかあさん)と先輩舞妓(おねえさん)との共同生活を始める。舞妓に憧れて静岡県からやってきた少女が、小扇だ(写真は27歳になった現在の姿)。
「祖父、祖母と一緒に暮らしていたからか、着物や和小物に興味があったんどす。それで舞妓はんになるにはどうしたらいいかと調べていたら、中学を卒業したら家を出なければならないと知り、中3の夏に決心しました。今しかできないことだから、飛び込んでみたいと。
昔の舞妓のイメージを持つ両親と祖父には猛反対されましたね。のんびりやで人見知りの性格でしたし、ずっと帰宅部でしたから、厳しい共同生活が務まるわけがないと思われていました。学校で高校に行かないのは私ひとりだけで、先生は初めて担任を受け持つ20代の男性だったので、“僕にはまったくわからない”と匙を投げられました(笑い)」
両親は説得できたが、“一見さんお断わり”の花街において、置屋に何らかのツテがないと舞妓になるのは難しい。親戚中を尋ね回り、着物の仕事をしていた叔母が置屋の廣島家と付き合いがあることがわかり、ようやく住み込みの修業生活を始めることになった。