灯りまたたく、ここは東京・神楽坂。この坂の多い町をぶらぶらと歩いて行くと、いつのまにか二十騎町(にじゅっきまち)、箪笥町(たんすまち)、細工町(さいくまち)…といった江戸時代なごりの町名が並ぶ、静かな住宅街にたどり着く。そのひとつ、納戸町(なんどまち)に、客の誰もが「角打ちができる“店”というより、あったかい“我が家”だ」と語る、『飯島酒店』がある。
主人は、3代目の飯島康文さん(65歳)。学生の頃から「高倉健さん命」で人生を歩んできたそうで、なるほどその証なのか、店内には自らが手を尽くして集めたという健さんのポスターが何枚も貼られている。
酒や酢を中心としたよろず屋的に商品を並べて、祖父の代に始まったこの店の歴史は、すでに90年になる。
「驚かれるかもしれませんが、私がこの店を引き継いだのは、5年前、60歳のときなんですよ。それまでがんばっていた兄が、店を閉めたいと言いましてね。だけど、祖父が起こし、引き継いだ父が酒屋の形をしっかりと作って息子たちへ。そうやってつながって来た流れを、ここで切るわけにいかないでしょ。それじゃあ俺がやめさせないと心に決めて、酒屋としての3代目になりました」(飯島さん)
このあたりに、心意気的にも健さんを彷彿させるところがあると言えないだろうか。
実は飯島さん、店を隣町である細工町から現在の場に移して営業を始めた当時は、角打ちのことなど一切考えていなかったという。それが、2年半ほど前の平成26年、主人vs.妻、娘でちょっとした家族争議がもちあがり、店の歴史が変わることになった。
「妻(弘子さん)と娘が、角打ちのできる店にしようと言いだしたんですよ。私は、うちは酒屋であって飲み屋じゃないんだ。店の中で飲ませるなんて冗談じゃねえと反対したんですが、二人は、ずっと前からやりたかったみたいで、結局押し切られてしまった。断腸の思いでしたね」と笑う飯島さん。
「酒屋の体裁は変えない」、「改装などの経費はかけない」、「自分は接客をしない」などの講和条約を締結して、角打ちはスタートした。
するとたちまち、客に支持される店になった。「飲み屋らしい設備なんて何もないし、狭くてむさくるしい酒屋ですよ。何がよくてみんな来るんだろうね」と飯島さんが、逆説的感動の言葉をこぼすほどだ。
「ご主人夫婦が自分たちの親世代で、しかもとっても温かい。ご主人から『何がよくてこんなとこ来るんだい』なんてべらんめえ口調で言われると、これがまた気持ちよくてね。僕らにとっては、店というより実家?我が家って感覚で来てます」(30代、印刷業)
「店は、すぐに混んでしまう。普通、混んでたら出直すでしょ。でもみんな、おう、いっぱいだねとか言いながら平気で入ってくるんですよ。外にまで溢れて来ている。ご主人夫婦や娘さんのやさしい雰囲気に触れると、ちょっとでもいいからここで飲みたいぞとなって、顔を見ずには帰れないんです」(40代、広告業)
夫人、そして足繁く手伝いにやってくる美人と評判の娘さんはもちろん、接客をしないはずのご主人も、いつしか角打ちに欠かせない存在になっていた。