ところが、帝国主義が世界に蔓延するなか、中東という獲物を手に入れようとしたイギリスは、ライバルのフランスを倒すためにシオニストの主張を認めた。イギリスの外相アーサー・ジェイムズ・バルフォアの「バルフォア宣言」(1917年)である。しかし、この段階でも少なくともフランスはシオニズムを認めておらず、夢物語から少し現実性を帯びてきたものの多くの人々は新生イスラエル国ができるなど予想もしていなかった。
ところが、その流れを完全に変えたのがナチスドイツによるユダヤ人大虐殺つまりホロコーストである。虐殺された在独ユダヤ人のなかには、第一次世界大戦で祖国のために戦い勲章を受けた軍人すらいた。そこで「やはりシオニズムが正しい」と多くのユダヤ人が確信するようになった。
それでもヨーロッパ諸国、つまりキリスト教国が積極的にシオニズムを支援しなければやはり夢物語のままで終わっただろうが、彼らにも根深いユダヤ人に対する偏見がこうした悲劇を招いたという反省はあった。これもすでに述べたことだが、当時のキリスト教会はホロコーストを支援しないまでも積極的にやめさせようとはしなかった。それゆえ二〇〇〇年つまり二十世紀最後の年、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ二世は初めてイスラエルを公式訪問し、そうした態度に反省の言葉を述べたのである。
このような流れもあって、ユダヤ民族はイスラエル国の再建に成功した。しかし、この建国がパレスチナ問題という新たな紛争を生み、それがいまも続いているというのはご存じのとおりである。ドレフュス大尉事件が世界史の流れを変えた事件だというのは、こういうことなのである。
さて、徳冨蘆花はこの事件にどんな影響を受けたか?
二人の共通点は、ともに小説家でありキリスト教徒であることだが、これまでの説明でお気づきだろうか。じつはドレフュス事件は、フランスあるいはキリスト教社会における「大逆事件」なのである。ドレフュスが告発されたのは直接的にはスパイ容疑だが、その根底にはもともと「イエスを殺した民族」であるユダヤ人に対する反感がある。天皇という「神」を「殺そうとした」と告発された幸徳秋水、「イエスを殺したユダヤ民族」の「子孫」であるドレフュス、少なくとも蘆花の眼にはこの共通点が映っていたはずだ。
しかも、後のホロコーストのとき、ヨハネ・パウロ二世も認めたように多くのキリスト教徒がこれを「傍観」していた。それも幸徳に対して多くの日本人が取った態度と同じである。そしてゾラはキリスト教徒であるにもかかわらず、「大逆の徒」であるドレフュスを擁護し陸軍に抗議し社会正義を求めてフランス人の良心に呼びかけた。そして結果的にドレフュスを冤罪から救っただけで無く、陸軍そして国家の横暴に対して歯止めをかけた。
蘆花は最終的にはこれをめざしていたのだろう。名指しこそしていないものの、この事件を仕掛けたのは陸軍のトップで総理大臣にまでなった桂太郎である。ドレフュスは陸軍最高首脳部の陰謀で陥れられた。おそらく幸徳も同じではないか、という危惧が蘆花の心中にあったのは間違いあるまい。
しかし、蘆花は結局ゾラにはなれなかった。それは当時の大日本帝国には「ロシアに勝つ」という巨大な国家目標があり、それは有色人種の国家が初めて白色人種の国家を倒すという点で人類史の上でも大きな意義があったことからだ。だからこそ、その流れに乗った桂太郎は「勝者」となった。しかし、目的はすべての手段を決して正当化するわけでは無い。「大逆事件」いや「大逆事件の捏造」は、あきらかにその後の日本を誤った方向に導いた。この点では桂太郎の罪はきわめて大きいと言わざるを得ない。
ちなみに、「主犯」とされた幸徳秋水は帝国主義だけで無くキリスト教も「抹殺」すべきだと考えていた。
(第1345回につづく)
※週刊ポスト2022年6月24日号