東京には江戸時代に命名された坂道が500以上もあるが、名付け親の大半は庶民だった。日本坂道学会会長(ちなみに副会長はタモリ)の山野勝氏が語る。
「江戸の総面積の8割強を占める武家地や寺社地には名前がついていませんでした。そこを訪れる際に目印としてちょうど良かったのが近辺の坂道。庶民が坂の印象などで自由に呼び習わし、やがてそれが俗称として一般的になっていったのです」
その印象は多岐にわたる。例えば坂の上からの眺望が命名理由になることもある。富士山が見える坂を『富士見坂』といったように、東京湾がよく見える坂は『汐見坂』(文京区根津など)、そして江戸市街が見える坂を『江戸見坂』(港区虎ノ門など)と名付けられた。
急勾配の坂道は、胸を前に突き出す姿勢で歩かなければ上れないという理由から『胸突坂(むなつきざか)』(文京区本郷など)、墓地が近くにある坂道を『幽霊坂』(港区三田など)とも。港区六本木にある『於多福坂(おたふくざか)』は、坂道の傾斜が中ほどで緩やかになり、再び急降下する様が顔の真ん中が低い『おたふく』のお面に似ているために、そう命名された。
「紀尾井坂(千代田区)では坂を挟んで紀州、尾張、井伊家の屋敷があったため、それぞれ一文字ずつとって改名した」(山野氏)
坂には歴史が詰まっている。東京、四谷・信濃町エリアのいくつかの坂を紹介しよう。
【安鎮坂(港区元赤坂)】
赤坂御用地の北側に沿うのが安鎮坂。鮫河橋坂につながる坂下から、権田原の交差点まで登ると外苑東通りにぶつかる。都内では最大級となる200m超の長い坂道は並木道となっており、人気のマラソンコースでもある。1994年、ビートたけしがバイクで事故を起こしたことでもまた、知られた坂である。