日本のものづくりを担ってきたのは下町の工場であり、こだわりの技を受け継いできた職人だろう。その職人が姿を消しつつある。薄利多売に馴染まない手仕事で生み出される品々は、大量生産の荒波に駆逐され、若者たちは厳しい修業を強いられる職人の世界に目を背ける。
事実、職業訓練校は生徒が集まらず、休校、廃校に追い込まれている。大工を養成する木造建築科の生徒は、平成6年の時点で全国に1600人いたが、15年後にはわずか680人に減少している。このままいけば、日本の古き良き伝統が失われる。
今こそ職人の技と伝統を語り継ぐ必要があるのではないか。
そうした職人の一人が、市松人形作りの藤村光環さん(58歳)。東京で創業80年の藤村人形店の2代目だ。
市松人形は、徳川吉宗の時代に上方で活躍した歌舞伎役者・佐野川市松に似せて作った人形が起こりといわれる。当時は着せ替えものとして遊ぶためのものだった。
藤村さんは釘を一切使わず、糊も膠(にかわ)やでんぷん糊など、江戸時代と同じ方法と材料で作る。
「不思議なもので、人形の顔は歳とともに変わります。親父も孫ができるたびに変わりましたし、私も子供が生まれると落ち着いた顔になりました」(藤村さん)
写真は市松人形の顔の型と、桐の粉末に生麩糊(しょうふのり)を混ぜ合わせた生地である桐塑(とうそ)に貝殻の粉である胡粉(ごふん)を塗り重ねて作られた人形の頭だ。頭の完成までには、「地塗り」「中塗り」「上塗り」という塗り重ねを20回繰り返す。
そして、彫刻刀で目を切り出す「目切り」の後、口元を削って慎重に唇の形を作っていく。着物を縫う奥さんとの二人三脚で1体につきおよそ2か月をかけて人形を完成させる。「作っているときは自然と無心になります」(藤村さん)
普段は海外での個展や製作実演に飛び回るが、弟子を育てることで後継者作りの重責を果たす。値段は5万円から。220万円の作品もある。
撮影■渡辺利博
※週刊ポスト2011年12月9日号