■黒船が来る前からある店で、平成の角打ち
東京・四谷の酒店『鈴傳』(すずでん)の歴史は古い。ペリーが浦賀に来航し、時代が幕末の動乱へと動き出したのが、嘉永6年(1853年)のこと。それを3年ほど遡った嘉永3年に、ここ四谷の地で営業を始めているのだ。
創業者は、夢を抱いて下野国(現・栃木県)は烏山から江戸に出てきた、鈴木屋という小さな造酒屋の次男坊・傳兵衛さん。だから、屋号は、鈴傳。
「角打ちは、江戸庶民の文化としてすでにあったそうですから、その頃は黒船騒ぎを肴にきゅうっとやっていたかもしれませんね」
もうすぐ160年になろうとする宮内庁御用達でもある酒屋部門と、その片隅に設けられた、今日も大勢の客で賑わう『スタンディングルーム鈴傳』という名の角打ちスペースを切り盛りしている7代目主人・磯野真也(55)さんが、そう言って楽しそうに笑う。
この老舗酒屋で角打ちが本格的に始まったのは、昭和20年代中頃だという。真也さんの父である元昭(故人)さんの時代だから、昭和31年生まれの7代目より、昭和28年に先代のお嫁さんに来たという、母親の萬里子(78)さんのほうが、話しはリアルだ。
「霞ヶ関が進駐軍に接収されて、大蔵省、総理府といった役所がこっちに移ってきたのよ。陸運局や迎賓館もあったしね。そこのお役人さんたちに、気軽にお酒を飲む場所が欲しいと頼まれちゃってね。木造2階建てだった店の軒先にみかん箱を積みあげてテーブル替りにして、そこで立ち飲みしてもらったわけ。すぐに会社員や職人さんたちも大勢来てくれるようになり、場所が足りなくて、1階の座敷も開放したんですよ」(萬里子さん)
現在は、1階酒屋フロアの左脇の入り口から細く伸び、奥で右に広がる30人ほどが楽しめる専用スペースが、角打ちの聖地になっている。それぞれのテーブルは、太いパイプで仕切られている。
「ヨーロッパを旅したときに乗った路面電車で、車掌さんがこれに寄りかかって切符に鋏みを入れていたの。主人がこれは使えるぞってことで、取り入れたんです」(萬里子さん)
高さは、約95センチ。酔って寄りかかると、腰の下側、尻の上部あたりに絶妙にフィットして心地よいのだ。