「いつやるか? 今でしょ!」でお馴染みの東進ハイスクール現代文講師、林修氏。トヨタのCM、金スマ(TBS)出演、フライデー激写と、昨今はメディアの注目も集める氏は、東大をはじめとする難関国立大学を目指す学生たちから圧倒的な支持を得る人気講師だ。そんな受験のカリスマに、そもそも現代文とは何なのか? そして、受験勉強は社会に出て役に立つのかを聞いた。
* * *
――先生が教えていらっしゃる現代文って、そもそもどんな科目なのでしょう。
林:まず、受験で出題されるプロの文章って、「コロモがめちゃめちゃでかい海老の天ぷら」のようなものなんです。伝えたいことが海老の部分ですね。
――なぜ大きなコロモが付くんですか?
林:一つは、専門家がアマチュアに対してわかりやすく伝えようとすると、具体事例とか、色々な説明が、どうしても加わるからです。もう一つは、プロは、世間で一般的に言われていることと違ったこと、ズレたことを言いたいんです。すでに言われていることを書いてもしょうがないですから。ただ、そうすると、反論してくる敵が出てきますよね。書き手はその敵を事前に想定して、再反論したり、また、人の文章を借りてきて自分の意見を補強しつつ、権威づけたりするんです。結果的にコロモが膨れ上がるというわけです。
例えばこうです。学者Aはこう言っていると数行引用する。その後、少し自分の考えを書く。だが、こういう反論もあると、今度は別の学者を引用する。しかし、学者Aはこうも言っていると再び引用する――。どんどん、著者が言いたいことが何なのか、わかりにくくなっていく。でも、量的には少なくとも、絶対に筆者の伝えたいことはあるんです。
出題者である大学教授は、自分たちもものを書く側だから、そういう筆者が言いたい部分はわかるんですね。言わば著者と出題者はグル。で、彼らの「わかり方」に合わせて理解できているかを見るのが現代文です。プロの「伝え方」を受け止められているかのコミュニケーション能力が問われているわけです。
――国語ができる人は他教科もできると言われたりしますが、実際、どうですか?
林:トップレベルに限って言えば、現代文ができる生徒は数学もできる。両方、原理は一緒だと言いますね。
それよりも僕が思うのは、一つの文章に一生懸命向き合って、筆者が言いたいことを一生懸命受け取る能力って、「対人関係を築く能力」と完全に一致するんではないか、ということです。だから、現代文の能力が高い子は、対人関係能力も高いケースが多い。もちろんなかには、対人関係は上手くやるけど現代文は読めないって子もいますけど、逆はあまりいない。現代文は、自分と違った考えを持つ他者を受け止める訓練になるんですね。
居心地よく、傷つけ合わない仲良しグループだけでコミュニケーションをとっている子は、文章を読めないことが多いです。
――では、現代文も含め、受験勉強は社会に出ても役に立つとお考えですか?
林:授業でよく言うんですが、社会に出て必要な能力には2つあって、「創造する力」と「解決する力」。で、大学入試に必要なのは、後者の「解決する力」のうちのごく一部なんです。とはいえ、解決能力の基礎を育むという意味では、受験勉強は役に立つ。だから、やると決めたのなら、しっかりやったほうがいいと僕は思いますね。ただ、もう一つの「創造する力」、さらには「創造する頭」は、受験勉強ではなかなか育まれない。東大を出でも社会で使い物にならない人がいるのは、そういうこともあるんではないでしょうか。
――受験は、一定の役には立つということですね。
林:たとえば、僕、MLBが大好きで、これまでせっせとブログに書いてきたんですよ。書いていたら、どこかから声がかかるんじゃないかとさえ思って。そうしたらこの前、あるテレビ局から本当にコメント依頼が来た。もう、嬉しかったですねぇ。
もちろん、運が良かったというのが一番なんですよ。たまたまスタッフさんに見てくれていた人がいたとか。ですが、こういう準備をしたら、こういう結果になるだろうと、ある程度、考えて動いてはいた。あるところに目標を設定して、その達成のために手順を踏んで適切な行動をとるというプロセスと実行力は、受験で身に付いたものだと思うんです。受験勉強をきっちりやったことは、そういう意味で、僕にはプラスになっています。