キリンビールの『一番搾り』といえば、1990年の発売以降、多くの“ビール党”に愛飲されてきた同社の看板商品のひとつ。そのブランディングの一切を取り仕切るマーケティング部の主力メンバーに、20代の若き女性がいる。
「私の仕事は“彼”がこれから20年、30年も今と同じステータスで生きていけるような土台を築くこと。そのためには、歴史を受け継ぐだけではダメで、いかに現代とマッチングさせていくかも重要なんです」
2006年入社の田代美帆さん(29)。主に担当する『一番搾り』を「彼」と表現するあたり、自社商品に対する愛着の深さがうかがえる。彼女自身もかなりのビール通、はたまたビール会社の社員だけに酒豪なのかと思いきや、意外にもジョッキ数杯を飲むのが精一杯だと打ち明ける。
だが、ビールは人々のコミュニケーションが生まれるきっかけづくりには最適。そのことを地元・福岡で過ごした学生時代から実感していたという。実は田代さんは福岡ドーム内で野球観戦客にビールを販売する“売り子”だった。しかも、ナンバーワンの売り上げを記録したこともある。
「シラフで来たお客さんがビールを飲みながら観戦していると、いつの間にか周囲の人たちと一致団結して応援する雰囲気になる。ビールは生活必需品ではないけれど、あれば生活に潤いをもたらしてくれる。お客さんの幸せに通ずる大切な商品だと思いました。あっ、私の売り上げが良かったのは、試合後にホークスの応援団と飲みに行ったりして常連客をたくさん掴んでいたから。単に営業活動の成果ですよ(笑い)」
そんな田代さんがビール会社に入社したのは、いわば自然の流れだったともいえる。1年間、神戸にて営業を経験した後、現在のマーケティング部に配属された。入社2年目にして主力ブランドの戦略立案に携われることなど、競合他社では考えられない人事だ。もちろん、キリンが若手社員に多くのチャレンジ機会を与えている証左ではあるが、田代さんの仕事に対する情熱が見込まれての抜擢だったことも間違いない。
会社の期待に応えるように、田代さんは上司に臆することなく積極的に意見し、提案もする。特に若年層のビール離れは業界全体に突き付けられた課題。田代さんもどうしたら若者たちがビールを手に取ってくれるのか、日々、頭を悩ませている。そこで、ふと浮かんできたのが、『スターバックス』の人気ぶりだった。
「昔は缶コーヒーだって若い人たちは好きじゃなかったのに、スタバが日本に進出して以降、プラカップを手に街中で飲み歩くという新しいコーヒースタイルを提案したことで、一気にカテゴリーが若返りましたよね。ならば、ビールもオシャレな飲み方提案をして、サラリーマンが居酒屋でジョッキを煽るみたいなスタイルから脱却しなければならないと思ったんです」
昨年、そんな田代さんらビールチームの発案から生まれたのが、ビールの泡をマイナス5度に凍らせた『一番搾りフローズン生』である。読みは見事に当たり、物珍しさに飲食店で写メを撮る若者や、冷たさが30分間持続するために、チビチビと長く飲みたいOLなどに受けた。
新商品や新サービスを生み出す発想のヒントは、街中にたくさん転がっている。田代さんは流行りの店があると聞けば、同僚のみならず、4年前に社内結婚した夫とも進んで出掛けていくらしい。
「パンケーキの『bills(ビルズ)』にはダンナさんとも行きましたし、同じマーケチームのメンバーとも1時間以上並んで食べました。でも、リサーチ目的というよりも、“世界一おいしい朝食”が食べたいという興味本位からです(笑い)」
とはいえ、花見のシーズンともなると、上野はじめ大きな公園に“偵察”に行くのが恒例だという。取材時はちょうど桜が満開だったのだが……。
「今年はまだなんです。でも、必ず行きますよ。だって、花見会場で『一番搾り』がどれだけ飲まれているか、気になるじゃないですか。ビールはまだどのブランドの味も同じだと思われていますが、味の勝負はこれからも続けていきます。そこに掛け算をして飲み方の新しさだったり、提供方法だったり、ビールを飲む時間を少しでも楽しいものにしたいというのが、私の学生時代から変わらぬ思いです」
果たして、田代さんは花見会場でたくさんの笑顔と、たくさんの『一番搾り』の空き缶に出会えただろうか。
【撮影】渡辺利博