【著者に訊け】山本文緒氏/『なぎさ』/角川書店/1680円
故郷、そして家族とは、たぶんこれくらいの存在だろうと思う。例えば長らく会わずにいた妹と再会した時、彼女の仕草や体つきを姉が〈懐かしい、と思えること〉に安堵するくらいの近さであり、遠さなのだ。
そうした人間関係の機微を、山本文緒氏の実に15年ぶりの長編『なぎさ』は、リアリティという言葉すら差し挟ませないほど静謐な筆致で描いてしまう。故郷長野を飛び出し、神奈川県久里浜で夫と暮らす〈冬乃〉のもとに、わけあって転がり込んできた元漫画家の妹〈菫〉。
物語はこの海のない町で育った姉妹と同窓生の夫〈佐々井君〉の同居生活を軸に進むが、「おねえちゃん」「菫」と昔ながらに呼び合う中にも緊張は微かに潜み、決して美しいだけではないドラマを予感させる。
夫の部下で元芸人志望の〈川崎君〉や、菫を訪ねてきた怪しげな友人〈モリ〉、近所の上品な老人〈所さん〉……一見のどかな町の人間模様は姉妹によるカフェの開店や夫の勤め先のブラック企業疑惑まで呑みこみ、どこへ行くとも知れない彼らに、人生の選択を迫る。
1998年『恋愛中毒』がベストセラーとなり、2001年には『プラナリア』で直木賞を受賞。人気作家として活躍する中、彼女を鬱病が襲い、『アカペラ』で復帰を果たしたのは5年前のことだ。
「病気になる以前のことは遠い前世の出来事というか、地続き感がないんです。お陰様で今はすっかり元気になり、一時は落ちるだけ落ちた体力が日々ついていく感触が、この歳になるとちょっと新鮮です」
冒頭、幼い姉妹が両親に連れられ、初めて海を見るシーンからして秀逸だ。
〈母に言われてスニーカーを脱ぎ渚に向かう〉〈寄せる波よりも、引く波の力が強い。足裏の下の砂がすごい力でさらわれる〉〈波がこないところへ逃れなくてはと思うのだが、引っ張られることも何故だかちょっと気持ちがよくて、恐怖と誘惑が寄せては引いていく〉