ジョン・F・ケネディ米大統領の暗殺からちょうど50年が過ぎた。元海兵隊員のリー・ハーベイ・オズワルドが、公式発表で“唯一の犯人”とされているが、オズワルドは2日後、拘置所への移送直前に、ナイト・クラブ経営者であるジャック・ルービーに射殺された。新刊『二〇世紀最大の謀略』『ケネディからの伝言』(いずれも小学館文庫)の2冊を上梓した国際政治ジャーナリスト・落合信彦氏が、暗殺劇の5つの「謎」について解説する。
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【謎1】核心部分の証拠は「2039年まで非公表」
ケネディの後継大統領であるリンドン・ジョンソンは暗殺の1週間後に事件を検証する「ウォレン委員会」を設置。同委員会は「オズワルド単独犯」という結論ありきの調査をし、数々の「謎」が残された。
同委員会は1964年に報告書をまとめたが、ジョンソンはその証拠資料を「75年後の2039年まで非公表」と決めた。彼は繰り返しこの事件は謀略ではないと語っていたが、証拠を75年間非公表にするのだから矛盾も甚だしく、自ら謀略があったと言っているに等しい。
1992年にCIAによって一部が開示されたものの、内容は読む価値のないものばかりで今も重要な部分は非公表のまま。しかも国立公文書記録管理局に保存された証拠の一部が火事で焼けたり何者かに盗まれたことが明らかになっている。
【謎2】パレードルート変更
ケネディが撃たれたのは「エルム通り」だった。実は直前にパレードが通った「メイン通り」を直進すればそのまま目的地に向かえた。にもかかわらずパレードはわざわざ迂回。急カーブを曲がったため、車は時速32キロから8キロに減速。暗殺犯はそこを狙った。
ダラスでのパレードはルーズヴェルト大統領以来、メイン通りを直進するルートが採用されていた。ケネディの時だけ、パレード前夜に突然、「狙撃しやすい道」に変更されたのだ。
【謎3】凶器は「旧式の銃」?
現場で発見され、オズワルドが使った凶器とされたのが「マンリカ・カルカーノ」という銃。第二次大戦でイタリア軍が採用した銃で、事件の20年以上前に製造が中止されていた。
古い上に粗製濫造品でボルトは固く、引き金は二段式で弾がそれやすい。しかもオズワルドの海兵隊時代の射撃テスト成績は合格ギリギリ。その男が旧式の銃で6秒間に3発撃ち2発を命中させたというのである。
実は、現場では別の「モーゼル」というドイツ製の銃も発見されていた。しかし、発見したワイズマンという警官は証人として呼ばれることはなく、その後、連邦政府所有のレスト・ハウス(精神病院)に送られた。現場に複数の銃があれば「単独犯」という結論は覆ってしまうからだ。