逆転、挫折、復活……レースに凝縮される悲喜こもごものドラマは、人の一生にも例えられる。だから人は馬に熱狂する。現役ジョッキー・藤田伸二が「名勝負」について語る(構成/柳川悠二)。
* * *
騎手が考える名勝負と、競馬ファンが考える名勝負は根本的に違うんじゃないかな。オレの場合、純粋にレベルの高い馬同士が接戦を演じ、首の上げ下げで勝負が決するようなレースが名勝負だと思う。たとえば、1996年の阪神大賞典。ナリタブライアン(武豊騎乗)とマヤノトップガン(田原成貴騎乗)が第4コーナーからたたき合いを演じたレースがそれに当たる。
自分が騎乗して勝ったG1なら2009年のスプリンターズS(ローレルゲレイロ)かな。道中、後方を常に気にしながら逃げていたオレは、レース前の予測通りビービーガルダンが後方から迫ってきて、最後は鼻差の勝負になった。写真判定に12分もかかった末、わずか1センチの差で勝つことができた。名勝負とは、実力のある馬同士が実力通りのレースをしてこそ生まれ得るものだと思う。
一方、競馬ファンはオグリキャップが復活を遂げた1990年の有馬記念や、圧倒的な強さを誇ったディープインパクトの走り、2年連続2着だったオルフェーヴルの凱旋門賞挑戦を名勝負として挙げるかもしれない。競馬を愛し、馬券に夢を乗せるファン心理からすれば、いずれも感動するレースではあるかもしれないけど、じゃあそれが名勝負かといったら違うと思う。
一頭がぶっちぎったレースなんてその馬が強かっただけだし、オルフェーヴルが惜しくも敗れた去年の凱旋門賞にしても「クリーンに乗りこなす」ことを信条とするオレからしたら、最後の直線で内ラチにもたれたのが気になった。騎手はレース以外のサイドストーリーに感情移入することはない。
結局、レースを走るのはあくまで馬であり、馬を操る騎手がいくらプランを練ったところで、その通りに馬が走ってくれることなんか10レースに一度あるかないか。騎手が名勝負を演出することはできず、あくまで偶発的に生まれるものだよね。