それでもグループの実務を担った能宗は次第に徳田のファミリーと激しく対立し、ついには徳田にも疎んじられるようになった。煎じ詰めれば、新興の企業などでしばしば起きる創業者一族と実務派の内紛劇にすぎないようにも思えるが、徳田の故郷・徳之島などに足を運んで生い立ちから取材した私は、また別の感慨をいだいている。
離島の貧しき家庭に生まれ、目的のためには手段を選ばぬような「きわもの」とも「モーレツ」とも評せるバイタリティとパワーで病院王国を築き上げた徳田のような男は、それがいいことなのか悪いことなのかはともかく、コンプライアンスやら安心安全といったスローガンばかりが飛び交う現在の日本社会にあっては、ずいぶん前に時代遅れな存在になってしまっていたのではなかったか。
「たしかにそうかもしれません。徳洲会は、理事長がつくった独特の小宇宙のようなものでしたから……。でも、徳洲会が離島や僻地の医療を担ってきたのはすごいことだし、これは絶対に維持しなければならない。それに徳洲会の中には理事長の純粋な理念を引き継いだ先生たちが結構いるんです。
この騒ぎを受けて理事長は退任を表明し、ファミリーも経営から外すとおっしゃっているようですが、院政を敷くようなら何も変わらない。これをきっかけに、徳洲会は時代に合わせた組織改革をするべきなんです」
(文中敬称略)