1987年の都市対抗野球。野茂率いる新日鐵堺は、大阪・和歌山地区第三代表の座を賭け、潮崎哲也(現・西武二軍監督)を擁する松下電器と戦った。この時も初回、野茂はいきなり満塁のピンチを作るが、マウンドに集まったチームメートから、「お前の好きなようにやれ」と声をかけられる。「仲間が信頼してくれたのが嬉しかった」という野茂が、試合を勝利に導いた。この時のことについて、同じ新日鐵グループの先輩・山田久志に、こんな話を打ち明けている。
「同じ新日鐵といっても、堺はクラブチームなんです。いつも“都市対抗に出られなければ廃部”という状態にありました。僕たちはいつも、チームの存続を賭けて戦っていたんです」
代表を決めた時、野茂はチームメートと酩酊するまで飲んだという。仲間を大切にする思いは翌年、1988年のソウル五輪メンバーに対しても同じだった。野茂はメジャーに行った後も、当時のメンバーが集まる「五輪の会」に、必ず顔を出していた。
プロに入ってからも、仲間の輪には積極的に入っていった。初のキャンプ最終日、「バッテリー会」でしこたま飲んで酩酊し、便器を抱えたまま眠ってしまったことがある。この時、吉井理人、阿波野秀幸、小野和義らの投手陣からは、「なんだ、アイツいいヤツじゃん」という声が上がっていた。
それが前述の応援に繋がったのである。野茂という野球人の本当の姿は社会人から近鉄1年目にかけてにあるように思えてならない。
※週刊ポスト2013年12月20・27日号