50年前、日本初の衛星中継はテキサス州ダラスでのパレード中に第35代アメリカ大統領ジョン・F・ケネディが暗殺される映像を伝えた。元海兵隊員のリー・ハーベイ・オズワルドが逮捕されたが射撃の腕やソ連亡命、CIA勤務歴などから単独犯説には疑問が多い。『二〇世紀最大の謀略─ケネディ暗殺の真実─』『ケネディからの伝言』(いずれも小学館文庫)の2冊を上梓した落合信彦氏が、単独犯説に首を傾げざるをえないようなオズワルドの人脈を解説する。
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実際、オズワルドの人脈にはCIAの影が見え隠れする。
例えばジョージ・デ・モーレンシルツという男。ウォレン報告書でもダラスでオズワルドが最も親しかった人物とされている。オイルに携わるビジネスマンだが、CIAのカヴァー組織で働いた経験を持っていた(ユーゴスラヴィアでは国外追放処分を受けた)。
CIAエージェントのデビッド・フェリーや元FBIの私立探偵、ガイ・バニスターといった超保守的な人物もオズワルドと交友があったことが明らかになっている。暗殺事件の約3か月前、オズワルドはルイジアナ州ニューオーリンズの街頭で「キューバのカストロ体制を支持する」と書いたビラを撒く騒動を起こした。この時のビラに書かれていた住所がバニスターの事務所所在地だった。
そのバニスターの事務所でオズワルドが頻繁に会っていたとされるのがフェリーであった。フェリーはCIAの工作員であると同時にニューオーリンズのマフィアの大ボス、カルロス・マルセロの手下だったとする証言が数多くある。さらに驚くべきことにフェリーの電話記録を洗っていくと、オズワルドを殺害したジャック・ルービーとコンタクトを取っていた形跡まで見つかる。
ちなみにルービーはシカゴで生まれ、15歳の頃からマフィアの使い走りをしていた。 CIA、FBI、マフィア組織そうした人脈は、単独犯説を大きく揺るがせる。ただし彼らを尋問しようにも、それはもうできない。
デ・モーレンシルツは1977年、下院暗殺特別調査委員会で証言する前日に自宅で自殺。フェリーは1967年にニューオーリンズの地方検事、ジム・ギャリスンが「(ケネディ暗殺の)真犯人逮捕は時間の問題だ」と発表した4日後に脳内出血で死亡した。
バニスターは1964年に死亡し、FBIは彼の事務所からすべてのファイルを持ち去っている。ルービーは1967年、裁判中にがんで死んだ(死の直前には、親しい友人に「がん細胞を注射された」と漏らしていた)。