紅白歌合戦をはじめ、ジャンルを問わず歌番組が目白押しの年末年始。そんな華々しい表舞台に「いつかは自分も」と夢見る“アラフィフ”の歌手がいる。
佑多田三斗氏、48歳。今年の10月23日に『つぼみ』でメジャーデビューを果たしたばかりだ。もともとIT企業の経営者だった佑多田氏だが、3年ほど前に2億4000万円の負債を抱え、会社を倒産させてしまった。
事業を通じて数多くのベンチャー企業経営者とも親交があっただけに、本来なら経営再建に尽力するのが筋であっただろう。ところが、佑多田氏はまったく畑違いの「芸能界デビュー」を決断する。
実は佑多田氏は子供のころからアイドル歌手になることを夢見ていた。高校は有名芸能人を次々と輩出する堀越高校に進学。同期には松本伊代や柏原芳恵がいたという。また、少年隊の錦織一清とも幼なじみで、ジャニーズ事務所入りを目指していた時期もあった。
佑多田氏が当時を振り返る。
「堀越には一般コースと芸能コースがあって、テレビのレギュラー番組が決まると芸能コースに進めるのですが、私は一般コース止まり。劇団にも所属して学園ドラマや化粧品のCMにも出演したものの、どれもチョイ役で……。結局、芽は出ませんでした」
いくつもの芸能事務所の門を叩いても「ハングリー精神が足りない」と断られた。仕方なく大学に進み、卒業後は複数の会社でサラリーマン経験をし、ITベンチャーを起業したというのがつい数年前までの略歴だ。
しかし、どんなに会社で営業成績を上げても、ベンチャー企業の業績を伸ばして派手な暮らしをしようとも、頭の中から芸能界への憧れが消えることはなかった。
「良くも悪くも目立つ存在でしたから、『まだ“芸能キャラ”でいけるのかな』と思い込んでいたんです。そんな話を常々、経営者仲間にしていたら、学生時代からの友人でもあったベネフィット・ワンの白石徳生社長が音頭を取って、私を応援する会を発足させてくれました。
おまけに、メジャーデビューするときには35人の経営者の皆さんが計800万円のお金を提供してくれて。こんな自分を見捨てずに支援してくれる人たちのためにも頑張らなければなりません」
幸い、デビュー前の腕試しともいえるインディーズでシングル『サブプライム哀歌』を発売したところ、時代を映した歌詞とタンゴのリズムが受け、日本有線大賞奨励賞を受賞。本格的な芸能界デビューを後押しした。