2009年6月、満を持しての豊田家への大政奉還──そのはずだった。だが、日本一の御曹司・豊田章男社長(57)を待ち受けていたのは、“試練”というにはあまりに過酷すぎるものだった。レクサスのブレーキ不具合に端を発する大規模リコール問題、東日本大震災、タイ洪水による工場稼働停止、超円高。トヨタの君主としての輝きは、みるみるうちに色あせた。
誰もがこう思ったはずだ。「お坊ちゃん社長にはこの危機は乗り越えられない」。だが、いまトヨタは再び販売台数世界一の座に返り咲き、2014年3月期決算では過去最高益の更新も囁かれる。経済ジャーナリストの福田俊之氏は、豊田社長の人柄を「意外と庶民的」と明かす。
「新幹線で名古屋から乗るときは、必ず鳥ソボロ弁当を買うんだそうです。車で移動中はコンビニで買った小倉あんぱんを齧ってる。プライドの高さとか驕りは感じませんね。上下関係を指導される体育会出身ということも大きいのかな」
昨年末、豊田社長は母校の慶應大学で講演した。在学中、勉強は疎かにしがちでホッケー部の練習に明け暮れていたという。豊田社長は「危機を乗り越えられたのは大学時代に鍛えられたから」と胸を張った。
大学3年時には、日本代表に選抜され五輪まであと一歩。卒業後、米留学を経て1984年に入社。傍目には華やかな青春時代に見える。しかし、若き日を語る際の豊田社長の眼は決して穏やかではない。豊田社長は当時をこう述懐する。
「何しろこんな名字だから」
将来の社長を確実視される男を同僚は特別視した。その距離感は長くコンプレックスであり続けた。当時の社長、父の章一郎からも「お前の上司になりたい奴はいないぞ」とも言われた。
しかし今から10年前、ある男との出会いが豊田社長を変える。成瀬弘、トヨタのテストドライバーを率いるエキスパートだった。
「こっちは命がけなんだ。運転のことをわからない人に車のことをああだ、こうだ言われたくはない」