東日本大震災から間もなく3年。復興までの道のりはまだまだ遠い。医師で作家の鎌田實氏は、困難な状況であるほど、「正解=○」ではない「別解=△」が絶望を希望に変え、新しい発想や力になると説く。
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2011年3月、東日本大震災発生直後から現地と連絡をとり、僕は諏訪中央病院の医師団として、福島県南相馬市に入りました。
遺体安置所に行くと、40代の女性が遺体に花を手向けている。お話を伺うと、ご両親が亡くなったという。お悔やみを申し上げると、「でも良かったです」と言うのです。
「地震で潰れた家の中で2人一緒でした。バラバラだったらきっと寂しかったでしょう。でも一緒だったから良かった」
私たち日本人はこれまで、「正解」ばかりを求めて生きてきました。○が幸せで、×が不幸せ。でも、彼女は違った。絶望的な状況の中でも、少しでも良いことを探して絶望に耐えようとしていた。僕は遺体安置所で、大切なことを教わりました。
被災地ではこんな方にも出会いました。宮城県の南三陸町に住む40代の女性は、地元で会社の社長をしていましたが、震災で会社だけでなく、家も夫も失った。その方がこう言ったんです。
「すべてを失って人生どん底だと思っていましたけど、そこからちょっとでも脱したら、△になるんですね」
彼女たちの言葉が教えてくれる通り、生きていく上では正解ではなく「別解」という考え方が大切だと思います。正解の○でも、不正解の×でもない、△です。それは、どんな絶望の中にあっても、発想を変えて希望を見出す力につながります。
今から30数年前、日本は「ウォークマン」という画期的な商品を世に出しました。全世界で3億台以上売ったというのだから凄まじいものです。同じ頃、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という言葉も流行して日本は絶頂期でした。
でも、その後の日本は「iPod」も「iPhone」も生み出せなかった。それはなぜか。日本という国が、「成功」に縛られてしまったからだと思います。1つの正解を手に入れ、「技術を高め、いいモノを作れば売れる」と思い込んでそれに固執してしまった。だから「iPod」や「iPhone」という「別解」が出てこない。
今の日本を覆っている閉塞感は、この例と同根だと感じます。