イタリア・セリエAのACミランへ移籍した日本代表のエース・MF本田圭佑。6月のブラジルW杯を控えて、世界最高峰のひとつであるリーグへ移り、更なるレベルアップを図ろうとしている。だが、心配な点がないわけではない。過去に、W杯開催年や前年にチームが変わった選手は、本大会で苦しんでいるのだ。
代表的な選手が、中村俊輔だろう。翌年に南アフリカ大会を控えた2009年、俊輔はMVPを獲得するなどエースとして君臨していたスコットランドのセルティックを離れ、かねてからの夢であったスペインのリーガ・エスパニョーラへ舞台を移した。
だが、背番号7を与えられたエスパニョールでは、思うように活躍できず、13試合の出場で得点ゼロ。俊輔の挑戦はわずか半年ほどで終わり、古巣である横浜F・マリノスに復帰した。
それでも俊輔の調子は戻らず、W杯南アフリカ大会直前で、失意のスタメン落ちを味わう。結局、本大会では予選リーグのオランダ戦に途中出場しただけに終わり、大会終了後に代表引退を発表することになった。
振り返れば、2006年のドイツ大会でも、同様の選手がいた。予選リーグのクロアチア戦で、柳沢敦が絶好機を外したシーンがいまだに語り継がれている。柳沢が語ったとされる「急にボールがきたので」という言葉は「QBK」と略され、ネット上でも大きな話題となった。
実は、この柳沢も、W杯前に古巣である鹿島アントラーズに戻ってきている。2003年からセリエAのサンプドリアに移籍した柳沢は、2005~2006年シーズン時はメッシーナに在籍していたが、出場機会を求め、Jリーグに帰ってきていた。日本復帰戦となった開幕戦で、いきなりハットトリックを挙げたものの、その後右足骨折を負う不運に見舞われ、W杯本大会では大バッシングに遭うという散々な結果に終わっている。