昨年12月26日の安倍晋三首相の靖国神社参拝は、海外の反発を招く一方、国内の保守支持層から礼賛の嵐となった。だが、ベストセラー『靖國論』の著者で、新刊『大東亜論』を上梓したばかりの漫画家の小林よしのり氏は、その背景に靖国神社がいつの間にか、反中・嫌韓の排外ナショナリズムの象徴と化してしまったと指摘する。
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いつの間に、靖国はこんな偏狭なナショナリズムに利用されるようになってしまったのだろうか。
そもそもわしは、小泉(純一郎)の首相時代の靖国参拝の時点からジレンマを感じていた。規制改革を中心とする小泉路線には反対しながら、靖国参拝については一定の評価をせざるを得ないような状況が続いていたからだ。
考えてみればあの頃から、新自由主義・グローバリズムで日本の国柄を破壊する政治家が、靖国参拝によってナショナリズムを喚起し、それを帳消しにする形が生まれた。安倍のやり方はそれを引き継いでいる。
規制改革にしてもTPP(環太平洋経済連携協定)にしても、そして原発推進(小泉は転向したが)にしても、安倍の現在の政策は、本来、日本の共同体が培ってきた愛郷心(パトリオティズム)を破壊するものばかりだ。
安倍はそうした新自由主義的政策を推進しながら、なお「保守・愛国者」と見られるために、靖国神社を利用した。靖国参拝はもはや新自由主義の隠れ蓑になってしまったのだ。
わしはかつてネット右翼が誕生した頃、共同体から分断された砂粒の個人が、国家に直結して排外主義的な方向に向かう様を「パトリ(愛郷心)なきナショナリズム」と呼んだが、安倍はこの国をますます、その「パトリなきナショナリズム」へと導いている。
しかも厄介なことに、それは「天皇なきナショナリズム」とも結びつく。
安倍が国際社会の反発の中で参拝すればするほど、本来靖国神社にとって悲願のはずの天皇陛下のご親拝は遠のくことになる。安倍のせいで、天皇陛下がますます靖国に行きづらくなっていることを、なぜ誰も問題にしないのか。