取材を受けないことで有名な柳家小三治・落語協会会長(74)が、2時間にも及ぶ異例のインタビューを受けた。「落語家ではなく噺家」を自称してきた小三治が、ここまで自らの芸論を披瀝したことはまずない。小三治の高座を見続けてきた落語愛好家の広瀬和生氏が、その貴重な言葉を記録した。その一部を紹介しよう。(文中敬称略)
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落語とは、演者が同時代の観客に向けてリアルタイムで語りかける芸能だ。「古典落語」という言い方が誤解を招きがちだが、決して同じ内容の噺が時代を超えて継承されるわけではない。同じ演目でも噺家の個性によって大きく変わる。落語の歴史とは、それぞれの時代を代表する名人の歴史と言い換えてもいい。
落語協会会長の柳家小三治。彼は古今亭志ん朝、立川談志亡き後の現代落語界の頂点に君臨する「孤高の名人」である。彼が古典落語を通じて高座で表現するのはリアルな「人間社会」そのもの。そこに展開されるちょっとしたドラマに、観客は「いるよね、こんな奴」「あるある、こういうこと」と共感しながら、思わずクスッと笑ってしまう。それが小三治落語だ。
談志と小三治は、共に「人間国宝」五代目柳家小さん(故人)の弟子。小三治という名は小さんの前名で、談志は真打昇進する際にその名を欲しがったものの許されなかった、とも言われている。その名を継いだのだから、師匠がどれだけ小三治を高く評価していたのかは明らかだ。
今の落語界についてどう思うか訊かれると、小三治は考え込んだ。
「どう考えればいいんだろうね……随分人数は増えたけど……ただ、若い人に言いたいのは、売れることが成功だとは思わないでもらいたい、ということ。成功したかどうかっていうのは、自分がやってて、喜んでいるかどうかってことですよ。死ぬ瞬間に、ああ、よかった、って思える人が一番勝者じゃないかな。最後はそこへ行くと思います。……俺って陰気?(笑)
今の落語界で動いてる人達と私とは、ちょっと違いますね。考え方が違う。だから俺は落語家に向いてない、ってよく言いますけど。向いてないんじゃない? 何なんだ、俺は(笑)。そういうことを談志さんと話してみたかった。でもあの人、ちゃんと話をしようとすると逃げる人だから。
本当に話をしたかったのは、談志さんだけかなぁ。兄弟弟子ってこともあるしねぇ。ただ、話そうとすると逃げちゃうような感じがして……何か、あまりそばに来なかったね。俺も行かなかったんだけど」