何事も〈平均点55点〉の美幸の人生が一変したのは中3の春のこと。普段から〈快話(かいわ)〉〈喜望(きぼう)〉〈楽笑(らくしょう)〉などと、自作の造語や好きな漢字を〈文字日記〉に書きためていた彼女の〈顔晴(がんばる)〉と書いた書が新聞社主催の書道展で絶賛され、〈天才書道少女現る〉と注目を浴びたのだ。
先生や親は鼻高々だが、中には〈嫉妬〉する者もいることに幼い美幸は気づかなかった。仲のいい友達が急に冷たくなったり、彼女は顔も成績もいい〈和希〉らの陰湿なイジメの標的となった。波は後に男子にも広がった。
そして写生大会でのこと。一人寂しく川を描いていた美幸は、ふと素足をさし入れた水の冷たさに〈電気〉に似た快感を覚え、膀胱を刺激されたのだ。〈股間に感じる温かみ〉〈私の尿は私に尿だと気づかれる前に下着から、ジャージを突き抜けて、こぼれていきました〉
しかもその現場を写メで撮られてしまう。美幸は親にも相談できず、日記に記した級友の名前を汚い言葉で塗り潰すことに喜びを見出していく。〈汚物〉〈豚女〉〈肛門〉等々、43人分の黒々とした漢字がページを埋め尽くすさまは、明るい造語の作り手だった彼女の失望を直接視覚に訴え、余計悲しい。
「本にするからには活字が持つフォルムの力というか、汚物なら汚物という漢字が43個、延々と並ぶ異様さを通じて、美幸の痛みを直に感じてほしかったんですね。その後彼女が和希たちに取る行動も決して褒められたものではない。でもやっぱり僕はイジメの渦中にいる子に『苦しい時はいつか過ぎる』なんて言えないと思うんですよ。
うちの奥さんも『報復はすべきだ』と言っていて、それほど深い傷を何とかして克服しようとする人を、僕はやり方はどうあれ、尊敬するんです」
高校進学後も〈期待〉することやされることを避けてきた美幸だが、あろうことかバイト先の先輩に恋をし、惨い形で裏切られた。一層心を閉ざした彼女は芸能事務所に事務員として就職し、自分のマネージャーだった〈村上〉のパワハラに耐えて働く雄星と出会うのだ。当時の気持ちを美幸自身はこう書いている。
〈最初はね〉〈哀しさを感じる哀感〉〈それがいつの間にか、愛感〉〈それに変わってた〉〈だからね〉〈村上に小さな復讐をしてやることにしたんです〉〈雄星さんが出来ない代わりに私がやるしかないって〉〈復讐代行です〉
「例えば嫌いな上司が急に飛ばされたり、自分は何もしてないのに環境が改善してることってありません? そうした日々の快適さをもし誰かが密かに成立させていたとしたら、それって凄い愛だと思ったんですよ。別に雄星は村上が手を出さなくなったのが美幸のおかげだなんて思ってないのに、相手の幸せが自分の幸せだと心底思える人って、一体どんな人なんだろうって。
反対に『なんで急に俺のパソコンだけカナ入力?』とか『昨日しまった資料がなぜここに?』とか、いつのまにか自分が復讐されている場合もあるんですけどね(笑い)。
実はこのオフィスでの復讐術にはブログで募集したものもあって、嫌な上司にエロDMを送りつけるとか珈琲に〈勃起薬〉を入れて恥をかかせるとか、女子にはいろいろと細かい復讐術があるらしい。皆さんが会社で変だなあと思うことも歳や気のせいじゃないかもしれません(笑い)」