田中将大のニューヨーク・ヤンキース入りが決定して以降、田中の動向が連日のように報道されているが、田中が抜けた後の楽天の戦力を不安視する声は多い。24勝0敗1セーブと驚異的な数字を残したエースの穴は簡単に埋まるものではなく、選手全員でカバーしていかなければならないだろう。
2000年以降、リーグ連覇を果たした球団は、パ・リーグでは2006~07年の日本ハムと、2010~11年のソフトバンク、セ・リーグでは2007~09年の巨人、2010~11年の中日、2012~13年の巨人と、セ・パ両リーグ合わせても5ケースしかない。田中の穴について考える以前に、そもそも優勝の翌年は苦戦するのが常だ。長年球界を取材をするスポーツライターはこう話す。
「相手も徹底研究してくるので、投手なら何か新しいボールを覚えるなど進化を遂げないといけない。何年も活躍し続けているエース級を除けば、前年のままだと、厳しい。また、優勝の達成感が強く、一種の燃え尽き症候群に陥ることも考えられる。モチベーションを保つのが難しい選手も、なかにはいる」
すべての選手も優勝年と同じような活躍をすれば、当然ながら連覇が見えてくる。だが、プロの世界では、そう簡単にはいかない。
「逆にいえば、期待できるのは優勝年に活躍できなかった選手ですよ。チームがバラ色のオフを過ごすなか、貢献できなかった選手は寂しい気持ちを味わいますからね。蚊帳の外に置かれた辛い立場が、翌年の復活や躍進につながるケースは多いですよ」(同前)
特に投手の場合は、そうした傾向が顕著だ。たとえば、2000年、長嶋巨人日本一の陰で、かつてのドラフト1位・入来祐作はわずか7登板に終わった。だが翌年、入来はチェンジアップを新たな武器に、チーム最多の13勝を挙げる活躍を見せた。
同じく2000年、パ・リーグを制覇したダイエーの中で、星野順治は右指の負傷もあり、わずか3勝止まり。前年のダイエー初優勝に貢献した投手の面影はなかった。しかし、翌年には自己最多となる13勝を上げ、見事な復活を遂げている。
それは日本人投手に限ったことではなく、外国人投手でも同様のケースは多い。2001年、ヤクルト日本一の年、期待の助っ人・ホッジスは5勝止まりに終わったが、翌年には17勝で最多勝に輝いている。近鉄最後の優勝となった同2001年、パウエルはわずか4勝。その雪辱を期した翌年は、17勝で最多勝、最高勝率、最多奪三振と3つものタイトルを獲得した。