多くの人々を魅きつけるヒット作の傍らで、健気に咲く佳作もある。作家で五感生活研究所代表の山下柚実氏がいま、注目する映画を挙げた。
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NHKの朝ドラ『ごちそうさん』も残すところ1カ月。高視聴率をマークし続ける“あま超え”ぶりが話題です。
大人気だった『あまちゃん』ですら、平均視聴率20.6%。対して、『ごちそうさん』は放送開始から19週連続で21%超とか。数字が人気の一端を示している、ということでしょう。
キムラ緑子、高畑充希、宮崎美子……脇の役者陣は光っているし、糠床が話をする、という不思議な設定も面白い。ナレーションの声が味わい深く響いてくる。小道具の陶器類・道具類もよく吟味されていてウソッぽくなくていいのですが……。
『ごちそうさん』はタイトル通り、料理やお菓子の話が頻繁に出てくるドラマ。けれども、「食べる」という行為そのものの意味については、掘り下げが甘くて物足りない。
ストーリーを展開するきっかけに「料理」「お菓子」を都合よく使っている、という表層的な印象が否めない……と感じているのは、私のような偏屈だけでしょうか?
そんな時、「食」に関する一本の映画と出会いました。纐纈(はなぶさ)あや監督のドキュメンタリー作品、『ある精肉店のはなし』。大阪で精肉店を営む北出一家の仕事と生活を、細かに、リアルに、雰囲気や感触やシズル感とともに、丁寧に描いています。
自分たちが育てあげた牛を、近所の屠畜場まで縄で引いて連れていく。自分たちの手で解体し、商品にし、店頭に並べて、お客さんと会話しつつ、売る。食べる。皮はなめされて、だんじりの太鼓になる。
路上に響く牛の蹄の音。屠畜場にたちのぼる湯気。どっと倒れる牛。解体する指先、手のひら。鈍く光る、金属の道具……。キメ細やかに、しかし淡々と描かれる仕事の様子。目撃した私たちは、「命をいただく」ことの深い意味について考えることになる。
普段、私たちは「肉」を単なる食材として見ています。しかし、この映画は、食材に「なるまでのプロセス」も含めて、現実を見つめ、感じようとする。その仕事にまつわる被差別部落の歴史やいわれなき差別からの解放運動なども含めて。
食べ物をいただく。命をもらう。その複雑さと、過酷さと、豊かさに思い至る。「いただきます」という何気ない一言。そこには先祖たちから延々と続く思いが込められている。だからこの映画を観た後は、「ごちそうさん」という言葉が、何倍何十倍にも意味を増して口から出てくるようになります。