【著者に訊け】藤岡陽子氏/『手のひらの音符』/新潮社/1470円
あえて言う。彼女の小説ではぜひ、人物造形の確かさを、堪能してほしいと。藤岡陽子氏。1971年京都生まれ。報知新聞記者を経て、タンザニアに留学。帰国後は看護師の資格を取得し、2009年『いつまでも白い羽根』でデビュー。馴染みのない方も、今から読んでおきたい作家の一人だ。
最新刊『手のひらの音符』は、京都向日町競輪場近くの団地に育ち、現在は東京の服飾メーカーでデザイナーを務める40代女性〈瀬尾水樹〉の人生の岐路を描く。国内生産にこだわる勤務先の服飾業からの撤退、難航する再就職など、物の売れない時代に物作りに魅せられた45歳の未婚女性を取り巻くのは、どこにでもありそうな普通の「今」だ。
が、本作の白眉は彼女が今後の生き方に悩みながら回想する「思い出」にある。名もなき女性の半生を彩る「あの人」や「この人」の思い出話がここまで奥深い小説になるとは―たぶんこれは相当に、凄いことだ。藤岡氏はこう語る。
「水樹みたいに普通の人の、普通の生き方とか頑張りが書きたくて、スポーツ記者を辞めたのが26の時でした。以来デビューまで苦節10年(苦笑)。自分を支えてくれたあの人やこの人がいたから、今まで頑張れました」
安く多くが尊ばれる時代に〈服のマクドナルド〉こと〈カジュアロウ社〉を29歳で辞め、今の会社で丹念な服作りに努めてきた水樹。社の突然の撤退表明に愕然とする彼女に、思わぬ人物が電話をよこす。中学高校の同級生〈憲吾〉である。
今も京都で公務員をしている彼は、高校時代の美術教師〈遠子先生〉が入院中だと告げ、見舞いに誘った。かつて先生は自分に自信の持てない水樹に言ったのだ。
〈目に映った色が、それがあなたの世界なのよ。好きな色を自由に使いなさい〉
それは水樹が初めて夢の道筋を見つけた瞬間だった。〈自分の色が誰かの大切な色になるような、そんな仕事がしたい〉〈窮屈な箱の蓋が開いた気がした〉……。あの時、あの人が言ってくれた、あの大切な言葉。そのくせ忘れかけてもいた無数の思い出が憲吾や遠子との再会を機に溢れ出し、彼女が生きてきた45年間を、読者は共に歩むことになる。