宮城県名取市閖上(ゆりあげ)地区は仙台圏のベッドタウンとしての顔と沿岸漁業の漁港の顔を併せ持つ人口7000人余りの静かな町だった。東日本大震災の津波による死者・行方不明者は約800人にのぼり、今も更地が広がる。市の推進する再建計画が二転三転し、混乱が続いている。
「閖上に戻る人なんて、どれだけいるのかしらね」
市内の仮設団地に独りで暮らす山田礼子さん(58)は首を傾げる。 「閖上を愛していて、元の場所に戻りたい人の気持ちはわかる。だから現地再建案には反対しない。でも、波の音に脅えながら暮らしたくないので仙台東部道路の西側(閖上より内陸、通称・岡区)に住みたいと言っているんです」
市が最初に閖上の再建計画を打ち出したのは2011年10月。近隣自治体から「お手本」と称されるほど早いタイミングだった。しかしその後、計画は迷走する。
再建計画は被災市街地復興土地区画整理事業を活用し、市街地があった場所に約120ha、5500人規模の街を作り直すというもの。そのうち、70 haが海抜3~5mまで嵩上げされる予定だった。
ところが、再建計画が明らかになると、住民や地権者らから内陸移転を求める声が相次いだ。
2012年夏に市が行なった個別面談では、閖上に「戻りたい」と答えたのは全体(1613世帯)の3割(483世帯、1328人)に留まった。115世帯が津波を堰き止めた仙台東部道路の西側に移転したいと答えた。
しかし市側には町を二分できない事情があった。嵩上げについて国は1haあたり40人以上の夜間人口密度を公庫補助の要件にしており、最低でも2800人を確保する必要があったのだ。
そこで市は2013年2月、嵩上げ面積を45 haに縮小。さらに非居住区域に設定された海辺の世帯を防災集団移転促進事業で閖上の災害公営住宅に受け入れる併用案を提示。計画人口を3000人とした。
続く3月、内陸移転を希望する住民に対する岡区の整備案も公表。しかし案では災害公営住宅(戸建てと団地)は計100世帯分だった。数は全く足りなかった。
この時すでに震災から2年が経過していた。当初は閖上へ戻ることを希望していた住民も進まぬ復興計画にしびれを切らし、別の地へと移っていく例が増えた。
さらに翌4月から5月に行なった2度目の個別面談では、閖上に「戻りたい」という住民は459世帯(1262人)に減少。一方、東部道路西側周辺への内陸移転希望者は246世帯に増えた。岡区の災害公営住宅には146世帯が入れない計算だ。