今年1月3日に死去したやしきたかじん氏(享年64)は、高校時代にフォークソングと出会ってギターを始め、大学入学後に勘当されると関西フォークの拠点、京都市の東山区で暮らし始めた。ノンフィクション作家・角岡伸彦氏がかつてたかじんが住んでいた辺りを訪れると親切な地元女性が「タコ部屋ね!」と場所を教えてくれた。下積み時代のたかじんを、角岡氏が辿った
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京都・祇園は、タコ部屋とは真逆の、華やかな街である。白粉に高下駄の芸が、あでやかな和服姿を見せ、観光客の目を惹きつける。夜は接待客や地元の常連客でにぎわう社交の場だ。
この祇園で、キングレコードの元幹部・竹中健三(73)は、たかじんと出会ったという。1970年代半ばのことである。
同志社大学を卒業後、キングレコードに入社し、中堅の宣伝マンだった竹中は、和洋問わずあらゆるジャンルの音楽を聴きながら、有望な歌手を探していた。
地元ラジオ局の制作担当者から「酒を飲んでは暴れる、おもろい歌手がいる。歌はめちゃくちゃうまいから、一回聴いてみたら」と声をかけられる。当時、たかじんは、昼は懇意にしていたハンバーガーショップを舞台に、夜は祇園のクラブを何軒も梯子(はしご)しながら自作の曲や流行歌などを歌っていた。一日100曲をこなし、喉から血が出ることはあっても、心に灯る情熱だけは消すことはなかった。
「誰もいないクラブで、あの子は歌の練習に一人励んどるんですよ。ママに悪いから、と気を遣ってクーラーも付けずに汗ダラダラでねぇ」(当時の祇園関係者)
竹中はレコード会社の同僚を誘い、祇園でたかじんの姿を探した。長髪に汚いズボン。初めて、その姿を見たときの印象を強く記憶している。身なりこそ汚いが、声量は豊かで、なにより歌詞の意味を必死に伝えようとする熱気が伝わってきた。
酒を飲んで暴れる。それは自分の歌を聴かない酔客に、ポケットの中にあらかじめ入れておいた生卵を投げつけたという逸話からきたらしい。ただし、竹中はたかじんに無礼や不遜さは一切感じず、むしろ自分の歌を真剣に聴いてくれという、純粋さを感じた。
竹中が当時を振り返る。
「作曲と歌唱能力がすごかったね。歌詞は高校の同級生が、たかじん自身の経験を聞き取って書いていたようなんですが、全部自分のことなんで、鬼気迫る表現でした。それに彼は歌を届けることに懸命やった。お客さんが3、4人しかいないときでも、懸命に歌ってましたから。プロモーターが動かされるのは、歌じゃなくて、その人間の生き様やということを教えてくれたのは彼なんですよ」