1947年から1949年に生まれた「団塊」と呼ばれる世代の最後尾(1949年生まれ)が65歳を迎え、2014年4月、一斉にリタイアする。団塊世代がどんなサラリーマン人生を送ったのか。この世代を象徴する映画といえば、1962年に公開された吉永小百合主演の『キューポラのある街』(浦山桐郎監督)だろう。
キューポラ(溶解炉)が立ち並ぶ鋳物の町、埼玉県川口市を舞台に、中学3年生の少女ジュン(吉永)が、家計を助けるために進学を断念してパチンコ屋でアルバイトを始め、最後は工場で働きながら定時制高校に通う道を選ぶまでを描いた青春映画だ。
団塊世代の大学進学率はまだ2割に満たず、同学年のうち約4割が中学を卒業すると就職した。地方から就職列車で上京する少年少女の安い労働力は「金の卵」と呼ばれ、残る4割も高卒(半数は定時制)で就職した。主人公のジュンは1947年生まれで、団塊世代にとってまさに「私たち」を描いた映画だった。
「戦後の貧しい時期に育ち、家族の中では兄弟とおかずの奪い合い、小中学校は1学年20学級、1クラスには50人以上の生徒がいたから、みんなライバル。会社に入っても同期が数百人いました。そのなかを生き抜いてきたから生活力には自信がある。リタイア後も心配はしていない」(この3月に再雇用期間を終えてリタイアした65歳の技術者)
しかし、上の世代は後輩たちに厳しい視線を向けてきた。今も現役の70代の経営者がいう。
「『欲しがりません勝つまでは』と教えられた戦中生まれの我々は、家族や仲間と分かち合う気持ちが強かった。戦後も、みんなが食べるのに苦労しなくていい社会を考えてきた。
しかし、団塊と呼ばれる後輩たちの世代は、分かち合うより自分の生活向上を重視する。自己顕示欲が強く、会社には入っても、同期の人数は多いのに助け合う友人がいない。面白いのは、権力志向は強いけれども、意外に権力や地位に弱い。失敗すると自分は正しいと言い張って責任を部下に転嫁する。だから部下から信頼されない人が多かったように思う」