【著者に訊け】塩田明彦氏/『映画術 その演出はなぜ心をつかむのか』/イースト・プレス/2300円+税
塩田明彦著『映画術』は、映画監督として活躍する著者が〈演技と演出の出会う場所から映画を再考する〉と題して語った、映画美学校(東京・渋谷)アクターズ・コース、全7回の講義録だ。というと小難しい映画論を想像する向きもあろうが、講義録だけに語り口は軽く、題材となる映画の連続写真も適宜載せた構成が嬉しい。
そもそも映画は撮る者と観る者がいて初めて成立する芸術だ。塩田氏は現在公開中の『抱きしめたい』など全国公開系の映画も数多く手がけ、「見る・見られる」という共犯関係に関してはプロ中のプロと言っていい。
特に映画を撮るつもりもない私たちがGWに向けて「観るという特権」を存分に生かすため、また、広く物を見る目を養うためにもぜひお薦めしたい、「視力」が確実に上がる良著である。
映画術といえば、世界的に話題を呼んだインタビュー集『ヒッチコック/トリュフォー 映画術』(1981年 仏語版は1966年刊)を思い起こす読者もあろう。「立教ヌーヴェルヴァーグ」出身とされる塩田氏は、同書の翻訳者、山田宏一氏と蓮實重彦氏から多くを学んできた。塩田氏はこう語る。
「蓮見先生は『人は映画を観ながら驚くほど何も見ていない』という事実を最初に指摘された方で、僕自身、以前はストーリーに還元できる絵しか見ていなかった。ところが映画にはそれ以外にもいろんなものが映り、聞こえていて、それがいかに重要か、気づけば気づくほど映画は面白いということが、大学時代に先生方の本を読んだり、のちに映画監督になる仲間と語り合う中で見えていったんです。
そもそも1回観たくらいでは読み取れない複雑なものを世の監督たちは作っているし、逆に言うと観る人が無意識のうちにも伝わるものをどれだけ厚く、豊かに作れるかで、映画の面白さは決まるとも言えます」
第1回「動線」や「視線と表情」「音楽」等、本書では監督が何をどう演出しているかが、具体的シーンに触れつつ検証されてゆく。
成瀬巳喜男監督『乱れる』の中に可視化される酒屋の嫁(高峰秀子)と義弟(加山雄三)の〈越えてはいけない一線〉や、ヒッチコック作『サイコ』における主人公の猟奇性を〈顔そのものに還元〉したようなアンソニー・パーキンスの〈鳥みたい〉な顔など、映画では様々なものを目に見えるようにし、あるいはあえて隠す。また、〈生命あるものを「物」として、物を「生命あるもの」として描くことへの倒錯した欲望〉や死の気配、〈やばさ〉も映画の言葉にならない魅力を下支えする。
「映画を語る時、そもそも言葉にできないから映画なんだという前提に立つことは重要です。僕自身、矛盾を承知で翻訳しているから〈顔を戦場化させる〉とか、妙な言い方になる(笑い)。
ただしその無理やり捻り出した言葉が思わぬ世界を見せる場合もあって、何が見えていないかに気づくための言葉を一から編み出す作業は、現実の切り取り方や補助線一つで視界がクリアになる映画的アプローチに共通するかもしれません」