3月27日、「袴田事件」で死刑が確定していた袴田巌元被告について静岡地裁は再審を認めた。1966年6月30日に静岡・清水市で一家4人が殺害された事件は、当初から自白の強要が指摘され、証拠の捏造が疑われた。
再審と無罪言い渡しは当然のケースだが、裏を返すと、あれだけの凶悪犯罪の真犯人が、半世紀も野放しにされ、何の罰も受けていないことも重大だ。袴田事件に限らず、発生から30年が経つグリコ・森永事件などいまだ犯人の目星すらつかない「未解決事件」には警察の重大な問題が潜んでいる。
「日本の警察は正面からぶつかってくる凶悪事件には怯まないが、はじめて見る変化球には弱い。30年前に発生したグリコ・森永事件には警察の弱点がすべて表われていたように思います」
事件当時、読売新聞社会部記者として取材にあたったジャーナリストの大谷昭宏氏はこう振り返る。全国民を驚かせた「グリコ・森永事件」は劇場型犯罪の先駆けであり、警察庁の広域重要指定事件としては初めて公訴時効が成立した未解決事件だった。
1984年3月18日、大手食品メーカー・江崎グリコの江崎勝久社長を兵庫・西宮市の自宅から連れ去った犯人グループは、身代金として現金10億円と重さ100kgの金塊を要求するという奇妙な動きを見せた。江崎社長は事件発生から3日後に大阪貨物ターミナル駅で保護されたが、事件はこれで終わらなかった。
「自力で脱出した」と語った江崎社長宅に6000万円の支払いを要求する脅迫状が届き、さらに大手新聞各社に犯人グループの「挑戦状」が送られたことで、事件は一気に燃え広がった。
大阪・摂津市内の焼き肉店を舞台にした「現金の受け取り」に失敗した犯人グループは、グリコ本社への放火を皮切りに、丸大食品や森永製菓、ハウス食品に対して毒物入りの食品を送り付け、スーパーの店頭に毒入り菓子を置くなどの脅迫を続けた。事件は翌1985年、犯人グループの一方的な終結宣言によって幕を閉じたが、警察は何ひとつ解明できないままだった。