広島・エルドレッドや阪神・ゴメスの活躍を見ても分かるように、外国人選手の活躍はチームの成績に直結する。“ハズレ”だった外国人選手にまつわるエピソードを、スポーツライターの永谷脩氏が綴る。
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今でこそ、外国人獲りの巧さでは東京ヤクルトは定評がある。昨年60本塁打超えをしたバレンティンのように、優秀な“原石”を安く獲得してから、屈指のスラッガーに育て上げるなど、獲得ルートもしっかりしている。そんなヤクルトも、過去1人の外国人選手に振り回されたことがあった。1984年に入団したクリス・スミスだ。
彼にはあの江川卓が密接に関係している。法大を卒業後、クラウンライター(現・西武)からの1位指名を拒否した江川は、南カリフォルニア大学に約1年間留学するが、この時に米国で共同生活をしていたのがスミスだった。元々留学のきっかけになったのは日米大学野球で、スミスはこの時、米国の4番を打っており、交流があったことから“ルームシェア”の相手に選ばれたのだ。
スミスの実家は農場を経営しており、彼は学生ながらポルシェを乗り回していた。江川とともにその実家に招待された時、作っているカリフォルニアワインを飲ませてもらったが、味は絶品で、まだ何もわからなかった私は、これほど旨いものはないと思ったほどだ。その実家での歓談中、江川がトイレに立った時だった。スミスが真剣にこう聞いてきたのを覚えている。
「彼が本当に1億円をもらえるならば、俺も日本に行きたいな」
スミスは1978年のメジャードラフト11巡目で、テキサス・レンジャーズに指名され契約。その後エクスポズ、ジャイアンツと渡り歩き、1984年にヤクルトと契約して、日本行きの願いを叶えた。江川はすでに巨人のエースになっていた。