ドラマは約3か月の長丁場。放映が進んでいくうちに評価が変化することも珍しくない。作家で五感生活研究所の山下柚実氏が「木曜21時枠」に注目した。
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刑事ものの氾濫。春ドラマの半分近くを「刑事・捜査もの」が占めている。新味がない、マンネリ、手抜き、といった批判も耳にします。しかし。「刑事ものは飽きた」と、十把一からげにしてはいけない。そうなりがちだった私自身、反省しました。
回を追うごとにじりじりと視聴者が増え話題のドラマ「BORDER」(テレビ朝日系 木曜午後9時)の存在に注目せよ。これ、刑事ものの「境界線」を越えて新境地を開いたドラマでは。
事件発生。刑事・捜査ものの基本的な構造としては、証拠や証言を刑事が集め、人間関係の背景、ことの経緯を調べ推理し、謎を解いていく。捜査の手順をドラマで陳列していく。ところが、「BORDER」はその「定石」を意図的に破っている。冒頭で事件の全体像が描き出されてしまうのですから。
小栗旬演じる主人公の石川安吾はなんと、死者と対話ができる刑事。いわば生と死の境界線に立つ人間。見えないものが見えている。
ひき逃げ事故発生から始まった第7話。死亡した大学生自身が、「誰が自分をひいたのか」を小栗に告げる。つまり、犯人を最初に提示。
これでは、事件の「謎解き」をする意味がまったく無い。いや、「謎解き」には注力しなくていい、というサインでしょう。その分、ドラマは犯罪を引き起こした人の背景や社会の中にある歪み、葛藤へとむかっていく。
「事件もの」というより「社会派」と呼びたくなるくらいに。生と死をめぐる葛藤、人間の狡猾さ、解決不可能な社会の闇の深さ、複雑にからまった組織……静かに炙り出されたパーツに、視聴者は自分の抱える問題の断片を投影して共感する。
もちろん、この手法にはリスクもある。最初に犯人を提示してしまえば、「謎解き」という餌で視聴者を釣ることはできないから。
その弱点をカバーするのに余りあるのが、立体的に構成された脚本と、主役・小栗旬や青木崇高、遠藤憲一といった役者陣の演技力。
小栗旬の、うつむきがちな目、じっと見つめる目がいい。佇む姿がいい。言葉がなくても目が物語る。正義感を振りかざす刑事ではない。屈折した深さを抱える人物。孤独感漂う刑事を、小栗は静かな熱さで、言葉以外の饒舌さで演じきっている。
つい、見とれてしまう。この役者、まだいろいろやってくれるんじゃないかと期待してしまう。次の主役映画「ルパン三世」を心待ちにしたくなる。それほど演技が光を放っています。
刺激的な映像が目立つ今の時代にあって、珍しく抑え目で静謐さの漂う画面。事件の仕掛けはあくまで道具にすぎず、ドラマの主題は人間の内面そのものにある、といった大人のドラマ。一言でいえば、こういう「内省的ドラマ」が見たかった。