【書評】『マラカナンの悲劇 世界サッカー史上最大の敗北』沢田啓明著/新潮社/本体1500円+税
【評者】鈴木洋史(ノンフィクションライター)
〈世界のどの国にも、未来永劫、癒されることのない悲しい国民的記憶がある(中略)ブラジル人にとって(中略)それは一九五〇年の自国開催ワールドカップにおけるウルグアイ戦の敗北である〉
本書の冒頭に引用されたブラジルのある劇作家の言葉だ。
64年前、大戦後初の大会として、第4回サッカーW杯ブラジル大会が開催された。当時のブラジルはまだ「王国」ではなかったが、前回大会で3位となり、その時が初の自国開催であるだけに、初優勝への国民的期待が高まっていた。
本書は、現地の新聞報道など千点以上の活字資料、テレビ放送がなかった時代に撮られた貴重な映像資料などを渉猟し、数少ない存命中の当時の選手にインタビューを行ない、〈悲しい国民的記憶〉を詳細に再現した決定版的ノンフィクションである。
大会に参加したのは13か国で、1次リーグを勝ち上がったブラジルなど4か国が決勝リーグに進んだ(当時はW杯の黎明期で、大会方式は今と違っていた)。その第2節を終えて優勝の可能性があるのは、スペイン、スウェーデンを大差で破ったブラジルと、その2か国と僅差の勝負を繰り広げて1勝1分のウルグアイ。
相手は第1回大会優勝国とはいえ、国土も人口も経済力もはるかに劣る小国。しかもホームゲームで、引き分けでもいい。決勝戦となったウルグアイ戦を前に、ブラジル中が「優勝間違いなし」と信じた。
その高揚感は半端ではない。試合直前までひっきりなしに取材陣が選手宿舎を訪れて優勝前提の取材を行なう。企業や金持ちが「優勝すれば高級時計や土地をプレゼントする」と申し出る。数か月後に行なわれる大統領、上下院議員、市会議員の統一選挙の候補者が宣伝のために選手との記念写真を撮りにくる……。