プロ野球界は交流戦が花盛りだが、グラウンドで活躍する選手がいる一方で、ベンチを温める選手、ベンチにすら入れぬ選手がチームには存在する。スポーツライターの永谷脩氏が、常勝軍団・巨人の“第5の捕手”のエピソードを綴る。
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今年のオールスターは西武ドーム(7月18日)、甲子園球場(同19日)で行なわれる。しかしこのところのオールスターは、今ひとつ盛り上がりに欠ける気がするのはなぜだろう。
それは今の巨人に、「本当のスター」がいなくなってしまったからかもしれない。例えば1958年のオールスターには、巨人から藤田元司、藤尾茂、川上哲治、長嶋茂雄、広岡達朗、坂崎一彦、宮本敏雄、与那嶺要らが出場した。王貞治がいなくとも(翌年入団)、どこからでも本塁打が打てる迫力がある、まさに巨人の本格的な黄金時代が始まろうとしていた時だった。
この年、島根出身の1人の捕手が巨人でデビューした。名を竹下光郎という。私にとってとても思い出深い選手である。その頃私は中学受験に失敗し、友人たちとぼんやり多摩川を眺めていた。河辺にはオハグロトンボが飛んでいる。眼下には巨人の練習グラウンドがあり、竹下はそこで汗を流していた。
その時、グラウンド整備をしていたキーパーが、竹下に向かって顎をしゃくった。目線の先には、背の高い投手がいる。「受けてやれ」ということだ。土に正の字を書きながら、懸命に球を受ける竹下。30球を投げ終えたところで、その投手は「サンキュー」と言い残し、土手の際に停めてあった車に乗って去って行った。竹下はというと、土手沿いを合宿所に向かってブラブラ歩き始めた。
我々は年齢の近いプロ1年生がなんだか不憫になり、彼に同行した。私が、なぜそこまで差がつくんですかねと聞くと、彼はニヤリと笑いながら言った。
「巨人には常にスターと控えがいる。俺のような5番手の捕手なんて“壁”みたいなもんさ」
そして「プロで成功するにはどうすればいいと思う?」と聞いてきた。わからず首を振ると、
「意地が悪くないとダメなんだ」
静かでゾッとする言葉だった。