今や日本は世界に冠たる“女性蔑視国家”の烙印を押されようとしている。
「女性が男性社員へのお茶くみなど単純作業をさせられ、出産後には退職を勧められる」(ロイター通信)
「性差別は日本企業では一般的」(CNN・電子版)
「日本は職場への女性の進出が最も低い国の一つ」(フランス公共ラジオ)
いずれも東京都議会の塩村文夏議員への野次問題に関する海外メディアの論評である。誇張というより、もはや捏造のレベルだ。いったい海外メディアは日本社会の何を取材してこんなことを書いたのか。確かに日本企業のなかでも、政治、とりわけ地方議会ほど遅れている組織はない。だが、それを国際進出している日本企業にまで当てはめる短絡さには呆れるほかない。
それ以上に呆れるのが、こうした海外のバッシングを逆輸入して「大変だ」と騒ぎ立てる日本メディアの浅薄さだ。「日本の体質 欧米失望」「海外も批判」と見出しが並び、「東京五輪どころか、東京の恥をさらした」とまで書き立てた。
しかし、報道はまず「何が起きたか」の事実を取材し、検証することが基本のはず。それが曖昧なまま、あるいは事実でないにもかかわらず論評することなどあってはならない。だが、欧米メディアも、そして日本のメディアも発端となった「野次」を検証する気などなく、面白ければいいという意図しか感じられない。
一番問題視されたのが「産めないのか」という野次だ。不妊や家庭の事情などで子供を産めない女性のことを考えれば、絶対にあってはならない発言である。この言葉があったからこそ、セクハラ野次問題はここまで大きな騒動になったともいえる。野次を認め謝罪した鈴木章浩都議の「早く結婚したほうがいいんじゃないか」発言も許されぬものだが、「産めないのか」とは次元が異なる。
塩村氏が6月20日、都議会議長に提出した「処分要求書」には、〈侮辱にあたる不規則発言は、私が把握できただけでも以下のようなものであった。「自分が早く結婚すればいいんじゃないか」「まずは、自分が産めよ」「子どもを産めないのか」「子どももいないのに」〉とある。それだけに、「産めないのか」という野次があったことは“真実”という前提で話は拡散した。
しかし、実際は「結婚~」以外の野次が存在したのかという検証は置き去りのままだ。鈴木都議は謝罪会見で「産めないのか、は断じて私の発言ではない」と主張し、間違いなく聞いたという都議も、野次を飛ばした“犯人”も見つかっていない。にもかかわらず、ほとんどのメディアは塩村氏の主張を鵜呑みにして報じるだけだった。