多くの映画やドラマで人気を博した平幹二朗の役者デビューは、俳優座の舞台だった。それから半世紀以上、いまも舞台に立ち続ける平が考える役者としての表現について語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。
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平幹二朗は1976年、蜷川幸雄演出の舞台『卒塔婆小町』に出演している。そしてそこから十年以上に亘り、両者は数々の芝居を築き上げてきた。
「浅利慶太さんの芝居では、主役は少なくともまずは堂々と立っているように言われていました。でも、それだけだと物足りなくなってしまうんです。ぐちゃぐちゃにして転げ回りたいって。そういう欲求が自分の中に出た頃、蜷川さんと出会いました。
浅利さんも劇団四季でミュージカルに力を注がれていた頃で。ただ、僕は歌の基礎がないですから。勉強した俳優がどんどん出てきたら彼らに負けると思い、ミュージカルには出ないことにしたんです。
その頃、蜷川さんも自分の劇団を辞めて東宝で『リア王』や『オイディプス』といった良い芝居を作ってらっしゃった時期で。ちょうどそんな時、僕が主演するテレビドラマ『はぐれ刑事』で蜷川さんが犯人役で出ていて、『蜷川さんの芝居に出してよ』ってプロポーズしました。
蜷川さんは三島由紀夫さんの追悼公演で『卒塔婆小町』という現代能楽の作品を国立劇場でやることになっていて、そこで九十九歳のお婆さんの役をやりました。それがとても評判がよくて、そこから一緒にやろうという作品が増えていきました。
僕としては、俳優座で新劇の芝居を、浅利さんからは言葉の伝え方を、と基礎を鍛えられた後で、一生懸命やれば何でも許してくれる蜷川さんといろんな作品をやれたことは、幸せだと思っています」