【著者に訊け】片岡義男氏/『短編を七つ、書いた順』/幻戯書房/1900円+税
片岡義男は、写真も撮る。不勉強にもそう知った時、「なるほど。そうか」と、膝を打つ思いがしたものだ。片岡作品、特に短編では何気ないシーンの1つにも「時間」が映りこんでいる。現在、過去、そして未来をも鮮やかに喚起させるのは、それが文字によって切り取られた「写真」だからだ。
書き下ろし短編集『短編を七つ、書いた順』に改めてそんな思いを強くした。街角で偶然出くわしたバーテンダーと常連客がサンドイッチの店で昼食を取りながら〈自信のあるレイアはゴールド・コーストへいったね〉と彼女を想う「固茹で卵と短編小説」。近所の洋品店で〈花柄〉のシャツを買った女とその友人の話「花柄を脱がす」など、彼や彼女の日常を切り取った7編には有無を言わせない時間の流れが描かれている。時間が陰の主役と言ってもいい。
その片岡氏も今年、作家生活40周年を迎えた。1976年の『スローなブギにしてくれ』を始め、かつて作品を読み漁った世代には感慨深いものがあるが、そもそも氏にとって、時間とは?
「時間はそこにあるものでしょ。例えば人と人の関係も、時間が経てば当然変化する。残酷であろうとなかろうと、二度と後戻りはできない現実の時間を、僕は言葉で作り直すわけです。切ないよね。ただ、その切なさに対して毅然とした人物を書く方が関係も進むし、物語も進む。仮にその関係が絶たれたとしても、続いていないという関係が続いているわけですから」
片岡作品とは男を書いているようで、女の物語でもあった。例えば彼らの目を借りて美しい人を描く時の、その視線と対象物の関係や、1977年の『彼のオートバイ、彼女の島』のように、並列された人と人、物と物の、決して1つにはなりえない対等で乾いた関係に、私たちは時に残酷に思えるほどの物理・摂理を学んだものだ。片岡流に言えば〈差し向かい〉の関係である。
そして今、とある都下の喫茶店で片岡氏と差し向かう。間に置かれた1杯のコーヒーを本書の登場人物もことのほか好み、カップを片手に愛用の〈モレスキンの手帳〉に何か書きこんだり短編の構想を練ったり、そうした一々が小説になる。
「コーヒーっていいんですよ。テーブルの上の、さらに皿の上のカップにコーヒーが満ち、2杯目を頼めばお店の人が運んでもくれる。そこには物と物、人と人の関係や変化があるわけです。僕はよく言うんだけど、僕の中に物語はない。自分の中から絞り出さなくても、物語は自分の外に幾らでもあって、それを一定の技術をもって書けば小説になり、時間も流れ出すわけです」