松方弘樹といえば、時代劇スターの近衛十四郎でみずからも時代劇が似合う俳優だが、もともとは歌手志望で俳優になるつもりはなかったのだという。俳優になったいきさつから、主演俳優へと成長したいきさつについて松方が語った言葉を、映画史・時代劇研究家の春日太一氏がつづる連載『役者は言葉でてきている』からお届けする。
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松方弘樹は1960年、東映の映画『十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ』でデビューしている。当時の東映には父・近衛十四郎も在籍していた。
「16歳の時、僕は上京していました。歌手になりたくてね。作曲家の上原げんとさんの歌謡スタジオで内弟子をしていたんです。だから、役者になる気はまったくなかった。
それで高校2年生の時にウチの父親と東映の契約更改の時に『学生服を着てお前も来い』と言われてね。行ったら大川博社長が『君、映画に出ないか』っていうことになって。ようは社長に会わすために僕を呼んだわけです。父親と母親には『歌を歌うにしても感情表現が必要だから、映画を一本ぐらいやっておいてもいいんじゃないか』って。詭弁なんですけど。
そんないきさつだから映画を続けるつもりはありませんでした。でも、なかなか方向転換が上手くいかないの。当時は東映と第二東映というのがあって、それで週に2本ずつ映画を撮らないといけない。月に16本ですよ。そうすると、それだけ主役が要るわけですよ。第二東映には水木襄さん、梅宮辰夫さん、千葉真一さんがいて、『もっと若手を』ということで僕が入った。
それで、次から次へ作品が来ているうちに歌と疎遠になっていってしまったんです」