創業家出身の社長といえば、伝統を重視し、改革を嫌うきらいがある。帝王学を授かりながらも、就任した途端、守りに入ってしまうトップは珍しくはない。特に、「孤独」に弱い二世や三世は多い。ところが、サントリー社長・佐治信忠氏、この人はまるで違う。大きすぎる父の背中に臆することなく改革を追い求めてきた。最大の改革が初の「創業家外」への社長禅譲だろう。10月1日から、ローソン会長の新浪剛史氏が同社社長に就任する。
サントリーに社長就任前から、佐治氏の取材を重ねてきた経済ジャーナリスト・永井隆氏が、異端の創業家社長の来歴を綴る。
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「サントリーは創業から115歳となり、官僚化が進み、やんちゃボーイ、やんちゃガールが少なくなった。新浪さんは“やってみなはれ”の人なので、グローバル化の推進とともに新しい空気を会社に吹き込んでほしい」
こうした台詞をさらっと口にできる経営者が日本に何人いるだろうか。自社の欠点、そして自らの力不足を、臆することなく語ってしまう。しかも、大きな声で、明るく、淀みなく。発言の主は、佐治信忠サントリーホールディングス(HD)社長。7月1日、ホテルオークラで開かれた新社長の内定会見での一幕だ。
佐治社長の隣には、10月1日から社長に就任する新浪剛史ローソン会長が座る。佐治氏とは対照的に、時折笑顔を見せながらも「プレッシャーは大きい」と緊張を露わにする。 会場には、「サントリーが世界で生き残るための最後で唯一のチャンス」といった佐治氏の声が響きわたる。父親でありサントリー第二代社長の佐治敬三氏もそうだったが、迫力満点である。
同社の創業は1899年。信治郎氏の実家は両替商を営んでいたが、大阪の薬問屋に丁稚奉公。その後、薬用成分のある輸入ワインと出会い、「赤玉ポートワイン」を販売する。戦前の日本に洋酒市場を創出し、会社の礎を築いた。
1961年、次男・敬三氏が長男の死を受け、会社を継いだ。敬三氏は宣伝、マーケティングに力を注いだ。「トリスを飲んでハワイへ行こう」とは同社宣伝部に在籍していた山口瞳の名コピーだ。戦後日本人の憧れ、ハワイと看板商品を見事に結びつける。洋酒市場を切り拓いた祖父、企業に文化的価値を見い出した父。ちなみに母方の祖父は戦艦「大和」の設計者で、第十三代東大総長の平賀譲だ。